鉄道連隊の跡を辿る―0、その歴史
※この記事はYahoo!ブログから移行したものです。鉄道ネタといえるかは疑問ですが、かつて千葉~津田沼間に存在した鉄道連隊の軍用線廃線跡について書きます。これ自体は学校の学習の一環で1年も前に調べたのですが、これまで公開する機会がなかったので、この場を借りて書かせていただこうと思います。
建設の経緯と現在の廃線跡
時は明治末期から太平洋戦争中。鉄道第一連隊の元である「鉄道大隊」が明治29年、東京牛込の陸軍士官学校内に設立、翌年中野に移転した。その10年後の明治40年、「鉄道連隊」に昇格し、千葉(第一連隊)・津田沼(第二連隊)に分かれて移転した。これに伴い、千葉ー津田沼間では現在のJR総武線とは別に軍専用の軽便鉄道が敷設された。わざわざ既存の鉄道とは別に建設したのは、当時の蒸気機関車が急勾配に弱かったことや、旅客鉄道と軍用鉄道を分離することで、予備を確保する目的があったものと思われる。終戦後、軽便鉄道の軌道敷は大半が道路に転用されたが、千葉付近のヤードは一時期、国鉄のレールセンター(工場)として使用されていた。この土地は現在千葉経済大学になっており、敷地内には当時の機関庫が残っている。
またこれらとは別に、津田沼ー松戸間には同じく鉄道連隊の演習線(戦地で鉄道を敷設するための訓練線)が敷設され、この軌道敷は現在新京成電鉄が使用している。新京成線に、最近の鉄道としては異常なほど急なカーブが連続しているのは、演習線時代にできるだけ長い距離を敷設する必要があったからだとされている。
参照した文献
千葉情報館 房総の廃線跡(廃線跡全体について)千葉市稲毛区ホームページ 稲毛の文化財(千葉経済大学内の機関庫についての記述・リンク切れ)
千葉空襲写真誌(毎年7~8月に千葉市より配布されている冊子)
(つづく)

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