海老江駅(概説) - JR東西線(19)

JR東西線 前人未到の深さで大阪中心部を貫いた地下鉄道のすべて
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■海老江駅 5km740m~6km105m(中心6km010m)
▼参考
JR東西線(片福連絡線)工事誌 - 日本鉄道建設公団1998年 199~219ページ・断面図
特集「平成9年開業新線」Ⅱ.JR東西線(片福連絡線) - 日本鉄道施設協会誌1997年7月号13~24ページ

●概説

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JR東西線海老江駅は阪神本線野田駅の北西、国道2号線の地下に設置されている。駅工区の全長は365mと長くなっているが、これは南側で交差する大阪市営地下鉄千日前線野田阪神駅との交差部分を含んでいるためである。施工は京橋方285mが関西高速鉄道(株)、尼崎方80mは隣接する鉄建公団施工の淀川シールドの発進立坑となることから同公団がそれぞれ担当している。建設時の仮称は地下鉄と同じ「野田阪神」であった。
駅部分のトンネルは4層構造で、地下1階が改札口コンコース、地下2階が機械室、地下3階が建設省共同溝通過スペース、地下4階がホーム・軌道階で、地表面から軌道までの深さは新福島駅よりもやや深い約21m尼崎方へ向かって2パーミルの下り勾配となっている。駅本体の施工は開削工法を基本に進められたが、地下鉄千日前線野田阪神駅との交差部分は駅機能を維持した状態でその下にトンネルを建設する必要があったため、この部分についてはメッセル工法(北新地駅の記事にて解説)を利用した小トンネルを掘削し、そこから鉄骨の仮受け杭を打ち込んで地下鉄のトンネルを支えつつJR東西線のトンネルを建設するという手法がとられた。また、京橋方で上を交差する阪神本線の橋梁は地下駅の建設の支障となる位置に橋脚があったため、工事中は仮設の橋脚を立てて橋桁を直接支えた後、既設の橋脚を撤去・再構築した。

海老江駅の断面図
海老江駅の断面図

海老江駅は阪神本線・地下鉄千日前線との乗換駅であるが、ターミナル駅である大阪・梅田駅に近く乗り換え客はさほど多くないと判断されたためか、ホームの幅は接続路線がない駅と同じ7mとなっている。開削部分自体はは300mを超える長さを持つが、ホームの全長は他の駅と同じ8両編成分の170mで、京橋方は地上の国道2号線に合わせて半径256mの急カーブとなっているため、ホームは尼崎方に偏って設置されている。地下1階の改札口と地下4階のホームを結ぶ昇降設備はエスカレータ3箇所、階段2箇所、エレベータ1箇所となっている。なお、地下1階の改札口は他線への乗り換えを考慮して京橋方に偏って設置されており、一番京橋方にある階段は途中で折り返す構造になっている。
地上への出入り口は国道2号線沿いに2箇所設置されている。京橋方にある1号出入口は国道2号線の東側に建つオフィスビルと合築になっており、階段のみ設置されている。尼崎方の2号出入口換気塔と合築になっており、階段のほかにエレベータが併設されている。このほか、地下1階の京橋方では地下鉄千日前線野田阪神駅にも接続しており、同駅を経由して阪神本線野田駅までショートカットすることも可能である。

●現地写真
→次の記事で解説予定。

■海老江駅の出水事故から見る大都市での地下水環境の難しさ

海老江駅における出水事故の状況
海老江駅における出水事故の状況

なお、この海老江駅の工事では地下水の異常出水による地盤沈下が発生し、10ヶ月間工事がストップするという事故があった。
事故は開削部分の掘削が最盛期を迎えていた1992(平成4)年4月3日鉄建公団施工の工区で発生した。当時、この部分では工区全体で地表面下16.6mまでの掘削が完了しており、さらに全体を4つのブロックに分けて最終的な深さである地表面下21.4mまで掘り下げる作業が続けられていた。事故はこのうち尼崎方から2つ目のブロックと3つ目のブロックの境界で発生した。出水は初め黒っぽいヘドロ状の湧水で発見され、掘削土やセメント・土のうなどでの止水を試みたものの、湧水の量は時間の経過とともに増加し、坑内からの対処は不可能となってしまった。このため、直ちに工事を中止し隣接する関西高速鉄道施工の工区で汲み上げた地下水(毎分5~6m3)、計1万2千m3を坑内に投入して、坑内外での水圧のバランスを取る対策をとった。さらに、出水箇所の真上の地上から十数本のボーリングを行い、凝固剤や生コンクリートを投入し、2日後にようやく止水することができた。しかし、出水に伴い土砂の流出が発生したことから、地上では大きな地盤沈下が発生し、沿道の34軒の家屋に被害が発生した。
この事故を受けて鉄建公団では学識経験者からなる「野田阪神異常出水対策技術委員会(委員長:京都大学柴田徹教授)」を組織し、事故原因の調査と対策の検討を行った。その結果、事故原因は開削部分外側の土留め壁(泥水固化壁)の継ぎ目が弱点となり、漏水が発生した可能性が高いものと推察された。当時の海老江駅の土留め壁の施工手順は以下のとおりである。

1、土留め壁となる穴を泥水で満たしながら掘削する。
2、その泥水を固化剤に置き換える。
3、芯材として鉄骨を48cmピッチで立て込む。


ここで、2と3の作業は騒音を伴うため、作業が夜間に及ぶ可能性がある場合は先に泥水中に鉄骨を立て込み、その後泥水を固化剤で置き換えるという手順を取っている場合もあった。しかし、泥水中に鉄骨を立て込んだ場合、鉄骨の先端に泥が付着しやすいため後から注入した固化剤が土留め壁全体に満遍なく行き渡らず、強度が低下することがあった。出水事故はこの低強度の部分から漏水が始まり、強大な地下水圧により次第に水みちが拡大して大量の出水に発展したものであった。加えて出水箇所は掘削深度の異なる分割施工の境界だったため土留め壁の変形量が大きくなったことももう1つの原因とされた。
事故後、鉄建公団では再発防止のため地下水を揚水することにより水圧を下げるとともに、掘削の分割施工をなくして土留め壁の変形を防止する対策をとることとし、翌1993(平成5)年1月22日より工事が再開された。当初は相当量の地下水の揚水が必要と考えられていたが、本事故を受けてJR東西線の周辺工区(北新地駅など)でも大量の揚水が行われており、地下水位が大幅に低下していたことから揚水量は毎分2~3トン程度にとどまった。揚水による周辺地盤の沈下量は最大でも4mm程度で、工事完了後揚水を止めた後は逆に2mm程度の隆起を見せており、特段の影響はなかった模様である。

かつて地下水汲み上げによる地盤沈下が深刻な問題となり、現在は地下水利用が厳しく規制され水位が回復した大阪市の沖積平野。海老江駅の出水事故はこのような水位の回復した地下水が地下開発に対して思わぬ脅威となることを如実に示した事象といえる。片や東の東京駅や上野駅でも地下水位の回復により地下駅自体が浮き上がる危険性が指摘され補強工事が行われるなど、地下水環境のあり方を巡っては一部で混乱も見られる。この点は上下方向にも過密に利用されることが多い大都市圏ならではの問題であり、解決が困難な問題ともいえるだろう。

(つづく)
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