南海電鉄 - 関西旅行2010(20)
公開日:2011年08月19日23:09

昨年夏の関西旅行の続きです。和歌山から大阪へ戻る際、行きと同じ阪和線ではなく途中から並行する南海電鉄を利用しました。今回はこの乗車の途上で撮影できた車両について解説しいたします。
南海電鉄の概要
南海電気鉄道(南海電鉄)は大阪市中心部の難波駅から関西国際空港、和歌山県の和歌山・高野山方面を結ぶ総延長154.8kmの私鉄です。
南海電鉄は明治から昭和初期にかけて発足した複数の鉄道会社が合併して形成された路線です。まず、1885(明治18年)に大阪堺間鉄道が難波~大和川(現存しない駅)間を開通させ、3年後堺駅(当時は吾妻橋駅と称した)まで延長し、当初の計画を完成させました。次に、南海鉄道が堺~和歌山間の鉄道を計画し、1897(明治30)年に堺~泉佐野間を開通させ、その6年後には和歌山市駅まで全通を果たし、現在の南海本線が完成しました。さらに、1922(大正11)年には堺市と真言宗の聖地である和歌山県の高野山を結ぶことを計画していた高野大師鉄道・大阪高野鉄道の2社を合併し、1925(大正14)年に汐見橋~高野下間を全通させました。一方、高野山側では高野山電気鉄道が1928(昭和3)年に登山鉄道として高野下~紀伊神谷間、その翌年には紀伊神谷~極楽橋間を開業させ、ケーブルカーも整備しました。その後、高野下駅で南海鉄道と相互乗り入れを行うようになり、現在の南海高野線の原型が完成しました。
その後、南海鉄道と並行する形で阪和電気鉄道(現在のJR阪和線)が開通し、両者は熾烈な競争を繰り広げるようになります。その競争は時に認可された速度を大幅に上回る高速走行を行うなど、なりふり構わぬものであったと伝えられています。これに見かねた当時の鉄道省の助言や鉄道会社の政策的な統合の方針※もあり、1940(昭和15)年に南海鉄道と阪和電気鉄道は合併し、阪和電気鉄道の路線は南海山手線となります。しかし、戦局の悪化により4年後には同線を国に譲渡して、今度は現在の近鉄南大阪線の前身である関西急行電鉄と合併し、社名が近畿日本鉄道に変わりました。
終戦後は復旧を迅速に進めるため、近畿日本鉄道から分離独立することとなり、1947(昭和22)年に南海電気鉄道が発足しました。以後、南海電鉄では路線バス、不動産事業など多角的な経営拡大を進め、1994(平成6)年には泉佐野市の沖に完成した関西国際空港への乗り入れを開始し、JR阪和線とともに大阪市中心部と関空を結ぶメインルートとして機能しています。
▼脚注
※:陸上交通事業調整法。この法律は当時並行して乱立していた鉄道会社を整理統合し、円滑な運営を図ることが目的とされた。首都圏では東京急行電鉄(大東急)が有名。
南海電鉄の車両
南海高野線のうち、高野山の山中を走る橋本~極楽橋間は50パーミルの急勾配、半径100m以下の急カーブ(制限速度33km/h)、24のトンネルが続く国内有数の険しい山岳路線となっています。このため、この区間に乗り入れる車両は車体長17m、抑速ブレーキを備えるなど特殊な性能が要求されます。これらの車両は古くから「ズームカー(Zoom Car)」の愛称が付けられており本線系統の車両とは明確に区分されています。今回はこのズームカーシリーズをはじめ、11種類の車両を見ることができました。
1、特急形車両


左:50000系特急「ラピート」(住吉公園駅)
右:10000系特急「サザン」(前4両が10000系。堺駅)
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左の50000系は難波と関西国際空港を結ぶ南海本線の特急「ラピート」に使用されています。車体は濃い青色で、全体的に丸みを帯びており、特に先頭部は航空機の前頭部をイメージした球体となるなど鉄道車両らしからぬ風貌となっています。また、側面の窓も丸くなっており、車内も航空機のような蓋つき(ハットラック式)の荷物棚が設置されるなど、空港特急であることを強く意識した作りとなっています。1994年のデビューに際してはその先進的なデザインを評価され、鉄道友の会のブルーリボン賞を受賞しています。
右の10000系は難波と和歌山市・和歌山港駅を結ぶ特急「サザン」に使用されています。特急サザンは終点和歌山港から四国の徳島港を結ぶ南海フェリーに連絡する列車で、10000系は指定席車両の部分に使用されます。自由席部分は通勤形車両である7000・7100系(後述)が使用されており、両形式を併結した状態で運行されます。今年秋以降、この10000系は新型車両(12000系)に置き換えられる予定となっています。


左:30000系特急「こうや」(難波駅)
右:11000系特急「りんかん」(難波駅)
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左の30000系は南海高野線極楽橋まで直通可能な車両(ズームカー)で、主に特急「こうや」に使用されています。30000系は1983(昭和58)年にデビューした車両ですが、1999(平成11)年には車内のリニューアルが行われ、右の11000系と同様の内装となったほか、他車との連結を可能にするため連結器カバーの廃止と電気連結器取り付けが行われました。
右の11000系は前述の10000系の高野線版ともいえる車両で、難波~橋本間を走る特急「りんかん」で使用されています。車体長は通常の20m車両であるため、高野線の山岳区間への乗り入れはできません。
2、通勤形車両(高野線)



左:6000系(難波駅)
中:6200系(難波駅)
右:2000系(住吉公園駅)
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通勤形車両についても南海本線と高野線で車両が明確に使い分けられています。
左の6000系は1962(昭和37)年に製造された南海電鉄初の4ドア高性能通勤形車両です。車体は東急車輛製造がアメリカのバッド社からライセンスを受けて製造したオールステンレス車体で、東急電鉄の車両で多く見られたコルゲート加工(強度を確保するため車体表面についている波型の加工)がなされていることが特徴となっています。(東急電鉄の7000系や京王電鉄の3000系はこれと同時期に製造された車両。)6000系に限らず、南海電鉄の車両はほとんどが東急車輛(神奈川県横浜市)製となっていますが、。これはかつて堺市に存在した帝国車輛と取引があり、帝国車輛が東急車輛に吸収された後もそのまま取引を続けていることに起因しています。中央の6200系は6000系から引き続き製造されている通勤形車両で、先頭部や窓の角にあった丸みが無くなり、東急電鉄の8000系列により近い形状となっています。
右の2000系は1990(平成2)年にデビューした通勤形車両で、極楽橋まで直通できるズームカー仕様である17m・2ドア車となっています。しかし、2ドア車であるが故ラッシュ時は乗降に時間がかかり遅延の原因になったほか、現在の高野線は橋本駅を境に完全に運行系統が分断されていることから当形式の出番が無く、現在は写真のように南海本線で主に使用されています。2ドア車であることを示すため、前面には大きく「2扉車」の紙が貼り出されています。
▼関連記事
伊豆急8000系と200系(2006年8月30日作成)
→東急電鉄8000系を転用した伊豆急行8000系
3、通勤形車両(南海本線)


左:片開きドアが特徴の7000系(堺駅)
右:両開きドアの7100系(住吉公園駅)
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高野線で使用されている6000系列はステンレス車体であることから、踏切が多い南海本線で運行した場合踏切事故時に修復が不可能となる問題がありました。(ステンレスは無塗装であることから変形した部分を直しても跡が残ってしまう。)7000系列はこの欠点を解消するため、6000系の車体を基本に材質を普通鋼に変更した車両です。7000系系列は7000系と7100系の2種類があり、前者は片開きドア、後者は両開きドアとなっていますが走行に関わる仕様は同一となっており、併結が可能です。この両形式は昭和40年代に製造された車両であることから老朽化が進んでおり、後述する8000系で置き換えが進められています。


左:1000系(堺駅)
右:8000系(住吉公園駅)
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左の1000系は次世代の南海電鉄標準の通勤型電車として1992(平成4)年から製造された車両です。前面のデザインは高野線の2000系に似ており、車体は軽量ステンレス製(ただし、5次車までは塗装されている)、制御方式はVVVFインバータを採用し省エネルギー化と省メンテナンス化を実現しています。
右の8000系は2008(平成20)年から製造されている南海電鉄最新の通勤形車両です。この8000系は前面の仕様こそ1000系と同一ですが、時代の変化に合わせて大幅な改良がおこなわれています。車体は関西私鉄では珍しいJR東日本のE231系と同一設計で、内装も同車とほぼ同一の仕様となっています。前述の通り、この8000系は7000系列の置き換えのため現在も増備が進められています。
今回は阪和線羽衣支線を経由したため、同線の終点羽衣駅に隣接する東羽衣駅から南海本線を利用しました。本来であれば各形式とも明るい屋外の駅で撮影しようと考えていましたが、夕方で影が多くなってきたことに加え、この日は遠方から雷の音が聞こえ始めたため、早々に難波駅へ向かうこととなりました。(大阪平野は生駒山が近いため、首都圏と異なり夏は天候が急変しやすい。この前日も夜は猛烈な雷雨だった。)
3日目(8月25日)の内容な今回で終了となり、次回からは4日目(8月26日)の内容となります。4日目はまず宿泊地の京都駅から滋賀県の長浜鉄道スクエアに向かいます。
▼参考
南海電鉄(公式Web)
鉄道博物館|南海電鉄
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(つづく)
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