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前史「京葉線台場トンネル」 - りんかい線東臨トンネル(1)
公開日:2011年08月16日04:16

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当ブログでご好評の「建設誌から読み解く首都圏の地下鉄道」シリーズ。1年ぶりに首都圏へ戻ってまいりました。
首都圏で3つ目にスポットを当てるのは、JR京葉線の新木場駅からお台場の地下を抜けてJR山手線の大崎を結ぶ「東京臨海高速鉄道りんかい線(旧称:臨海副都心線)」です。今回参考文献として主に使用するのは2003(平成15)年9月に日本鉄道建設公団(鉄建公団、現・鉄道建設運輸施設整備機構)東京支社により刊行された「臨海副都心線工事誌」です。京葉線用として建設された構造物を流用した路線として知られているりんかい線ですが、具体的にどの区間で完成済みのトンネルを流用したのかや、トンネルの詳しい構造についてはこれまで一般にはあまりなじみが無く、年月の経過とともに数々の誤解が生じているのが事実です。本レポートでは公式資料をもとにこれらの謎を解明してまいります。
京葉線の建設計画の移り変わり
▼参考
臨海副都心線工事誌 - 日本鉄道建設公団東京支社2003年9月 46・47ページ
りんかい線は建設が途中で放棄された京葉線の新木場~東京貨物ターミナルの一部を流用して建設されたことは、恐らくこのブログの読者の皆さまなら周知の事実だろう。念のため確認しておくと、りんかい線を運営する東京臨海高速鉄道株式会社のホームページにもその旨は書かれている。
京葉貨物線を有効活用しています りんかい線の第一期区間は、旧国鉄時代に着工された京葉貨物線を旅客線として有効活用するとともに、未着手区間について建設工事を行いました。 引用元:事業概要|企業・採用情報|りんかい線 |
京葉線については京葉線新東京トンネルのレポートの一番最初の記事でも触れているが、もう一度詳しく解説することとしたい。
当初の京葉線は神奈川県川崎市の塩浜操車場(現在の川崎貨物駅)から東京都・千葉県の東京湾岸の埋立地を抜けて千葉県の木更津市に至る全長105kmの貨物路線として高度経済成長期に計画された。また、路線中央の市川市付近では同じく計画中だった武蔵野線・小金線※1と接続し、総延長200kmを誇る「東京外環状線」を形成し、臨海部に新しく造成される工業地帯と内陸部を直結するとともに、首都圏の貨物輸送のバイパスルートを形成することが計画の最終目標とされた。
この計画を受けて昭和30年代末期より当時の運輸省や国鉄では京葉線建設に向けた調査を開始し、1967(昭和42)年の塩浜(操)~品川埠頭(東京貨物ターミナル駅)を皮切りに順次工事が着手され、6年後には塩浜(操)~東京貨物ターミナル間が、さらにその2年後には一部区間で工場の専用線を借用する形であったものの蘇我~都川信号場~千葉貨物ターミナル(2000(平成12)年廃止)間が開業にこぎつけた。また、接続する武蔵野線についても順調に工事は進み、1978(昭和53)年までに全線が開業している。道路版の外環状線である3環状道路(首都高速中央環状線・東京外環自動車道・圏央道)がほぼ同時期に計画されながら、1980年代後半までまともに完成した区間が無かったことを考えればこれは快挙といえるだろう。
▼脚注
※1 小金線:現在の武蔵野線新松戸~西船橋間の建設中の名称。

千葉貨物ターミナル駅跡地脇を通過する房総特急255系。京葉線の流転の歴史を語る上で欠かせない場所。2008年9月6日撮影
しかし、京葉線の中央部は着工がやや遅かったこともあり、計画通りには進まなかった。1973(昭和48)年、1979(昭和54)年の2度にわたり日本経済に石油危機(オイルショック)の嵐が吹き荒れたのである。この不景気により国内産業の主体は第2次産業(製造業・建設業)から第3次産業(サービス業)へシフトし、企業の製造拠点も安い人件費を求めて海外移転が著しく進んだ。この結果、東京都江東区~千葉県千葉市にかけて東京湾岸に造成中だった埋立地の利用方法が工業中心から住宅・商業中心に変更され、浦安市や千葉市では広大な住宅団地が建設された。また、幕張メッセ・東京ディズニーリゾートに代表される娯楽施設も次々と建設され、京葉線はそれらにアクセスする路線としての性格を求められるようになった。
その後、1980年代後半になりオイルショックから立ち直ると今度はバブル経済が到来し、地価が高騰とした都心部を避けて東京都心外延部で宅地開発が次々と行われるようになった。この結果、京葉線と並行する総武線や地下鉄東西線は殺人的な混雑が常態化し、その状況を緩和するバイパス路線の新設が切望されるようになった。
以上のような情勢の変化により、昭和50年代に入ると自治体から京葉線の旅客線化が強く要求されるようになり、国や国鉄もこれに応える形で1978(昭和53)年に京葉線西船橋~蘇我間の旅客線化が、1983(昭和58)年には新木場~西船橋間の旅客線化と東京駅への乗り入れ(京葉都心線の建設)が相次いで決定された。そして国鉄分割民営化後の1991(平成3)年に京葉線は東京~蘇我間43.0kmの全線が開業し、線内列車のみならず内房線・外房線との直通列車が設定されるなど千葉県北西部と東京都心を結ぶ重要路線として機能するようになった。
<京葉線の建設計画の変遷>
1964年4月 運輸大臣から調査線として指示を受ける
1964年9月 品川埠頭~木更津間について貨物線として工事線の指示を受ける
1965年6月 塩浜~品川埠頭間について工事線の指示を受ける
1967年2月 塩浜~品川埠頭間の工事実施計画認可
1971年6月 西船橋~蘇我間の工事実施計画認可
1973年10月 塩浜(操)~東京貨物(タ)間が開業
1974年3月 品川埠頭~西船橋間の工事実施計画認可
1975年5月 千葉貨物(タ)~蘇我間が開業
1978年9月 西船橋~蘇我間の旅客線化が認可
1983年7月 新木場~西船橋間の旅客線化と東京乗り入れ(京葉都心線の建設)が認可
1986年3月 京葉線西船橋~千葉港間暫定開業
1988年12月 京葉線新木場~西船橋・千葉港~蘇我間暫定開業・新木場~蘇我間の運転開始
1991年3月 京葉線東京~蘇我間全線開業
1996年3月 千葉貨物(タ)休止
2000年3月 千葉貨物(タ)廃止
2000年12月 西船橋~蘇我間で貨物列車運転開始
▼関連記事
京葉線千葉貨物ターミナル駅と新港信号場/その1(2008年9月8日作成)
京葉線千葉貨物ターミナル駅と新港信号場/その2(2008年9月12日作成)
京葉線千葉貨物ターミナル駅と新港信号場/その3・終(2008年9月17日作成)
→稲毛海岸~千葉みなと間にあった千葉貨物ターミナル駅の跡地利用について
地底に封印された「台場トンネル」
▼参考
京葉線大型シールド工事の現況 - 建設の機械化1975年12月号3~9ページ
京葉線沈埋トンネルの施工 - 土木技術1980年5月号51~59ページ
東京港海底トンネル工事の状況・京葉線台場トンネル工事 - 建設の機械化1979年9月号9~14ページ
首都圏における新線開業 5、東京臨海高速鉄道臨海副都心線 - 日本鉄道施設協会誌1996年9月号20~31ページ
より大きな地図で 京葉線台場トンネル を表示
京葉線の中央部をなす品川埠頭(東京貨物ターミナル)~西船橋間は1974(昭和49)年3月に工事実施計画認可がなされ、以後高架橋やトンネルなど路盤の建設が進められた。ここではそのうち、現在はりんかい線の一部となっている東京貨物ターミナル~新木場間について解説する。なお、現在のりんかい線は新木場駅が起点となっているが、ここでは京葉線時代の資料に合わせて東京貨物ターミナル駅側を起点として話を進めることとする。

京葉線台場トンネルの断面図と各区間の工法
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京葉線東京貨物ターミナル~新木場間は途中に大型貨物船が航行する東京港があることから、東京貨物ターミナルを出るとすぐにトンネルに入り、東京港の下を海底トンネルで抜けた後、13号地(現在の臨海副都心の西側半分)の地下を抜けて有明付近で地上に出て以後は高架橋で新木場駅まで至る計画となっていた。トンネル部分は「台場トンネル」※2という名称で、海底や海沿いの地盤が軟弱な埋立地の深部を通過することから、陸上で造ったトンネルの構造体を海底に埋める沈埋工法や当時としては珍しい密閉式のシールド工法(泥水加圧式シールド)など当時のトンネル技術の粋を集めたものとすることになっていた。詳しい工法については説明が長くなるので今後制作する個々のトンネルの記事で解説することにするが、13号地側に関しては埋め立て完了後間もないことから地盤の自重沈下が続いており、トンネルはそれに追随できる構造とされていた。さらに、経済性を考慮してトンネル坑口は上下線で位置が変えてあり、いずれも下り坂となる方の線路のこう配がきつくし、トンネルが短くなるよう設定されていた。(東京貨物ターミナル駅側は下り線(塩浜→新木場)、新木場側は上り線(新木場→塩浜)。いずれも緩勾配側が10パーミル、急勾配側が20パーミル。)
▼脚注
※2 文献によると坑口位置は塩浜側が上り線8km671m76、下り線9km779m50、新木場側が上り線13km900m00付近、下り線14km374m50。トンネル長さは上り線4412.25m、下り線4756m43m。なお、これらの値は計画当初に概算で出した値であり実キロとは一致しない。(計算すればわかるが、両坑口間のキロ程の差とトンネル長さが100m以上ずれている。)



左:品川運河での工事。運河に何かを埋め込んでいる。左を通るのは新幹線の回送線と大汐線。
中:13号地西端の工事。写真左の四角い穴が2つある部分が13号地立坑(シールド発進立坑)。
右:有明西運河での工事。運河にケーソン(トンネル)を埋め込んでいる。
(C)国土交通省 国土情報ウェブマッピングシステムカラー空中写真データ(昭和49・54年)より抜粋
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このトンネル区間に関しては新たに買収する用地がほとんどないことや難工事になることが予想されたため、1974年の認可の直後に着工されている。工事については当時の建設関係の雑誌にいくつか論文が出ている他、当ブログでお馴染みの国土情報ウェブマッピングシステムの航空写真でも要所にその痕跡を見ることができる。上の3枚の写真はその一例である。
●左:品川運河内でのケーソン埋設(1974年)
東京貨物ターミナル駅を出た京葉線は地下に入った後しばらく新幹線回送線・大汐線(汐留駅へ通じる貨物線)の脇を進む予定となっていた。途中交差する品川運河はケーソン工法を用いる計画で、1974(昭和49)年の写真では早くもケーソンの埋め込みに向けた準備らしき作業が行われているのが確認できる。
●中:13号地立坑(1979年)
13号地から有明西運河までは単線シールド2本で13号地の地下を進む予定となっていた。1979(昭和54)年の写真を見ると京葉線が13号地に入る地点には四角い穴が2個開いており、明らかにシールドマシンの発進立坑となっていることがわかる。また、その右上には作業基地らしきものがあり、トンネルの延長上の地上には測量をしたと思しき線が出ているのが確認できる。右下は開通したばかりの首都高速湾岸線が見える。
●右:有明西運河内でのケーソン埋設(1979年)
13号地と有明の間にある有明西運河もケーソン工法でトンネルを建設する予定となっていた。1979年の写真には今まさにケーソンを埋めようとしている状態が写っている。北側を並行するのは国道357号の有明橋で、上下線間には現在首都高速湾岸線が通っている。
当時の13号地は埋め立てが完了してからまだ数年しか経っておらず、一面の荒れ地という状態だった。また、埋立てが終わった有明付近もまだ具体的な土地利用計画が策定されておらず、暫定的な利用が行われているにすぎなかった。一例として、現在有明コロシアムになっている一角は広大なゴルフ場となっており、その敷地は現在の国道357号の部分まで張り出していたため道路側が不自然に迂回しているという状態だった。また、現在のパレットタウンに至っては埋立てすら行われておらず、運河の中という状態であった。京葉線台場トンネルはこのような荒涼とした大地の中、来るべきあすを夢見ながら黙々と工事が進められたわけである。
だが、前述の通り昭和40年代末期に日本経済を襲ったオイルショックによりその夢は打ち砕かれることとなる。オイルショックにより貨物線としての存在意義を失った京葉線は、1983(昭和58)年には正式に旅客線への転換が決定し、同時に計画が宙に浮いた東京貨物ターミナル~新木場間は工事が凍結されてしまったのである。建設途中で放棄されたことから、この台場トンネルは工事誌も編纂されず、一体どこからどこまでがきちんと完成したのかさえ不明瞭なままいつしか人々の間からその存在が忘れ去られ、地底に封印される日が10年以上続くこととなる。長い「冬の時代」の到来であった。
(つづく)
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