13号地立坑~品川埠頭 - りんかい線東臨トンネル(14)

東京臨海高速鉄道りんかい線東臨トンネル ~時代に翻弄されたもうひとつの京葉線~
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■台場第4トンネル
  海底区間:5km972m~6km723m(L=751m)
  陸上区間:6km723m~6km806m(L=83m)

▼参考
東京港海底トンネル工事の状況・京葉線台場トンネル工事 - 建設の機械化1979年9月号9~14ページ
京葉線沈埋トンネルの施工 - 土木技術1980年5月号51~59ページ
臨海副都心線工事誌 - 日本鉄道建設公団東京支社2003年9月 294~301ページ

●概説

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13号地立坑(潮風公園夕陽の塔)を過ぎるとりんかい線はお台場の陸地を出て海底トンネルで対岸の品川埠頭へ渡る。この区間のトンネルも昭和50年代に京葉線台場トンネルとして建設された構造物を流用しており、流用にあたっては品川埠頭側で接続するシールドトンネルの一部を合わせて「台場第4トンネル」(海底トンネル区間は新木場起点5km972m~6km723m・L=751m)の名称が与えられている。平面線形はほぼ全長にわたり直線に近いものとなっているが、品川埠頭側は民有地の下にかかる区間を極力少なくするため急なカーブとなっており、海底トンネル区間もこの影響を受けて半径850mでカーブしている。また縦断線形は品川埠頭側へ向けて2パーミル程度の下り勾配となっている。
この海底トンネル区間の建設方法はシールド工法と沈埋工法の2案が検討されていた。前者はご存じのとおり地中をシールドマシンが非開削で進みながらトンネルを建設するもの、後者は海底に掘った溝の中に陸上や水上で造ったトンネルを埋め込むものである。当初は前者のシールド工法が有力視されていたが、その理由は埋立て土砂の荷重により地盤沈下が進行中であり、最終的な沈下量は地表で2.7m、トンネル下端で1.3mに及ぶと推測されており、それに追従できるようにするためである。しかし、海底でのシールドトンネルの建設は当時は未経験の分野であり、土被り、防水性、浮力に対する安全性など解決すべき課題が多かったため、最終的には実績がある沈埋工法に落ち着いた。

沈埋函の埋設位置(1979年の航空写真に加筆)
沈埋函の埋設位置(1979年の航空写真に加筆)
航空写真:(C)国土交通省 国土情報ウェブマッピングシステムカラー空中写真データより抜粋
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海底トンネル部分の工区全長は約750mで、そのうち沈埋トンネルは中央部の670mであり、両端の40mは護岸と一体であることからケーソン工法で建設されることなった。トンネル本体を構成する沈埋函は1基の全長が96mで、品川埠頭側から順に7つに分割して建設することとした。
トンネルが建設される場所は東京港の中でも最重要航路となっており、1日当たり700隻もの船舶が通過するため、工事中も常時幅250mの航路を確保することが求められる。しかし、品川埠頭と台場の間は元々700mの距離しかなく、13号地側の水深の関係で船舶が通行できるのはそのうち350mしかなかった。これでは工事期間中の代替航路が確保できないため、工事に先立ち水深が浅い13号地側の浚渫を行い、作業用の台船の進入を可能にして作業スペースを確保した。また、工事に使用する台船自体もコンパクトな物を使用した。
沈埋函は、現場の近傍にドライドック(陸上の作業スペース)が確保できなかったことから、鋼殻方式が採用された。断面は水圧などの影響に対して有利な小判形とされ、台場側は単線シールドトンネル2本、品川埠頭側は複線シールドトンネルに接続していることから台場側から中柱が2本、1本、中柱なしというように幅が狭くなっている。鋼殻の製作は東京湾内にある造船所で行い、現在のお台場海浜公園付近に設けられた艤装ヤードまで曳航し、内部の柱・壁面・継手などの取り付けを行った。内装が完了した沈埋函はクレーン付きの台船(自己昇降台:Self elevating platform:SEP)で沈設位置まで曳航され、予め海底を浚渫して設けた溝に沈められた。この浚渫土砂の量は前述の航路確保や沈埋函の艤装ヤードの分も含めると120万立方メートルにも及んでおり、羽田沖、葛西沖、検見川沖(千葉県)などに分けて廃棄されている。なお、沈埋函を沈めるためのおもりや周囲の埋め戻しにはこの土砂ではなく砕石が用いられた。

沈埋函の埋設方法のイメージと断面図



沈埋函の埋設方法のイメージと断面図 ※クリックで拡大

沈設が完了した沈埋函同士はケーブルで接続して隙間を埋め、継目に入った水を抜いて完成となる。なお、前述のとおり地盤沈下が続いていることから、この沈埋函同士の接続部、両端のケーソンとの接続部、沈下量が大きい6号沈埋函の中間部の計9か所にはゴムを用いた柔結合継手を使用しており、地震や地盤沈下による伸縮に追従できる仕組みとなっている。
沈設作業は1978(昭和53)年8月から開始され、台場側の7号沈埋函からおおむね1カ月に1つずつのペースで沈設作業が行われ、1979(昭和54)年1月に1号沈埋函までの沈設が完了した。工事期間中の航路は7~4号と3~1号の2回に分けて切り替えが行われ、特に事故も無く工事は完了した。前出の航空写真はこの工事が終わった直後の1979(昭和54)年に撮影されたもので、シールドトンネルの工事が続いている13号地立坑以外の工作物はすべて撤収が完了しているが、品川埠頭側はトンネルに重なる部分の地面の色が他と違っており、何らかの手が加えられたことを窺うことができる。
それから20年後、この海底トンネルはりんかい線の第二期区間の一部として活用されることとなった。トンネル自体は電気防食などが行われていることもあり、20年間放置された割には比較的傷みは少なかったが、結露や微小な漏水が原因で床や継手部の空洞の一部に水が溜まっており腐食の原因となる可能性があったほか、トンネルの中柱は阪神・淡路大震災後に改定された耐震基準を満たしていなかった。このため、りんかい線への転用にあたっては継手部の腐食防止対策(金具類の再塗装と空洞の充填)と中柱の耐震補強(鋼板巻き)が行われている。

なお、品川埠頭の陸地に入った先は複線断面のシールドトンネルとなっており、立坑無しで直接接続していることから、りんかい線への流用の際はこの部分もまとめて「台場第4トンネル」として扱われているが、距離が短い割に説明が長くなるのでこの部分については次回以降の記事でまとめて解説することとしたい。

▼脚注
※電気防食:海水と接している鋼材に対し、電流を流して腐食を防止するシステム。電源は外部から意図的に供給するものと、腐食しやすい金属(犠牲陽極、流電陽極)を接続して電池として機能させるものの2種類があるが、この海底トンネルでは後者の方式を採用している。

●現地写真(地上)
潮風公園夕陽の塔の前から対岸の品川埠頭を望む。 東京港の船上から品川埠頭を見る。クレーンの右下付近の海底にトンネルがある。
左:潮風公園夕陽の塔の前から対岸の品川埠頭を望む。2011年5月5日撮影
右:東京港の船上から品川埠頭を見る。クレーン右下付近の海底にトンネルがある。2011年3月6日撮影

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台場第4トンネルは海底トンネルということもあり、地上・海上にはトンネルの存在をうかがわせるものは何も存在しない。左は13号地立坑(潮風公園夕陽の塔)の前からトンネルの海上部分を見たところであるが、普通の海面が広がっているだけなのがお分かりいただけるだろう。また、右側はこの海上を行く船から品川埠頭の岸壁を見たところであるが、トンネルが通っているクレーン右下の岸壁を見ても周囲の岸壁と構造上の違いは見出せず、やはりトンネルの存在を窺うことはできない。ちなみに、トンネルの建設時、真上の岸壁には大型の倉庫が建っていたが、現在はご覧の通り解体されコンテナ置き場となっている。

●現地写真(地下)
13号地立坑と海底トンネル(台場第4トンネル)の接続部分。 海底区間。上下線の間隔が狭くなるのに合わせて中柱が2本から1本に変化する。
左:13号地立坑と海底トンネル(台場第4トンネル)の接続部分。
右:海底区間。上下線の間隔が狭くなるのに合わせて中柱が2本から1本に変化する。2枚とも2011年7月9日撮影

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こちらは下り(大崎方面行き)列車から見た台場第4トンネル内の映像である。動画から切り出したので画質が悪い点はご了承願いたい。左の写真は13号地立坑と沈埋トンネルの接続部分で、手前は立坑と一体になったケーソンであるため四角い断面のトンネルになっている。右の写真はここからさらに先に進んだ地点で、左側の壁面は沈埋函の形状に合わせて曲面を描いており、右側の中柱は上下線の間隔が狭まるのに合わせて位置が変化していることが確認できる。なお、本記事作成時点でWikipediaには

東京臨海高速鉄道りんかい線 - 1 沿革

東京テレポート駅 - 東京貨物ターミナル駅(八潮車両基地)を結ぶ海底トンネル・東京港トンネルは旧国鉄の京葉貨物線の一部として建設されたもので、沈埋工法で建設されたためにトンネル断面形状はボックスケーソンの四角形となっている。

東京臨海高速鉄道りんかい線 - Wikipedia

と書かれているがこれはかなり大雑把な説明であり、実際は写真の通り壁面は必ずしも四角形ではなく、シールド工法とも開削工法とも似つかない独特な断面となっている。形状としては京葉線の京橋トンネル(東京~八丁堀間)で使われたMFシールドに近いと言えるかもしれない。(ただし、天井部は平滑になっている。)

中柱が無い区間には暫定開業時に使用していた片渡り線が残る。 品川埠頭直下のシールドトンネル接続部分。
左:中柱が無い区間には暫定開業時に使用していた片渡り線が残る。
右:品川埠頭直下のシールドトンネル接続部分。2枚とも2011年7月9日撮影

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さらにその先、品川埠頭側まで進むと上下線間の中柱が無くなる。この柱が無い区間には下り線(大崎方面)から上り線(新木場方面)に向かう片渡り線が設けられており、2001(平成13)年3月の天王洲アイル駅までの暫定開業時にはこの渡り線から先を単線として運用し、新木場方面に折り返し運転を行っていた。現在この渡り線を使用する列車は存在しないが、信号機や標識類は全て残されている。ポイントを過ぎると線路は半径850mでカーブするが、トンネル内ということでカント(遠心力を打ち消すための傾き)が十分とれなかったため、85km/hの速度制限が設けられている。このカーブの途中でトンネルはケーソン、複線シールドと変化しながら品川埠頭の陸地に入る。シールドトンネルとの境目に地上へ通じる立坑は無いが、トンネル全体では一番低い位置になるため線路脇の空間に排水ポンプが設置されており、海底トンネル内のパイプを通じて13号地立坑へ送水している。

りんかい線前面展望・4/7 東京テレポート→天王洲アイル - YouTube 音量注意!

(つづく)
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