交通博物館跡地再開発の現状(2012年6月15日取材)

万世橋交差点から交通博物館跡地に建設中のオフィスビルを見る

2006年5月、東京・神田にあった「交通博物館」が閉館し、約1年半後の2008年10月にさいたま市大宮に「鉄道博物館」として移転・リニューアルオープンしました。移転から6年が経過し、交通博物館の跡地では現在再開発(オフィスビルの建設)が進んでいます。2010年にこの再開発についてお伝えしましたが、それから2年が経過したため、このたび再取材をしました。

▼関連記事
交通博物館の跡地再開発(2010年3月28日取材)(2010年6月7日作成)

■交通博物館移転まで

交通博物館エントランス
交通博物館エントランス。2006年5月4日撮影

 交通博物館は1936(昭和11)年に「鉄道博物館」として開設されました。当時、脇を通る中央線には「万世橋駅」があり、博物館の建物は1923(大正12)年の関東大震災で一部を焼失した駅舎を取り壊し、その基礎を流用して建設されました。関東大震災以後、周辺では鉄道網の整備が急速に進んでおり、万世橋駅の利用者数は減少を続けたことから戦時中の1943(昭和18)年に廃止され、以後は交通博物館単独の施設として運営が続けられました。 戦後は運営主体が鉄道省(国鉄の前身)から日本交通公社(現在のJTB)に移管され、1971(昭和46)年にはさらに交通文化振興財団へと再度移管され国鉄分割民営化後もそのままの形で運営が続けられました。この間、日本の交通産業は鉄道・船舶が主体だったものが自動車・航空機主体へと大きな変化を遂げており、展示内容もそれに応じて拡充が進められ、「交通博物館」の名に相応しい日本の交通の総合博物館として機能してきました。

「さよなら交通博物館」のヘッドマークが装着された蒸気機関車。 本館屋上から中央線の線路と万世橋駅跡を見下ろす。今は無き201系が通過中。 閉館直前に特別公開された万世橋駅の遺構。階段の滑り止めは戦時中の金属供出で外されたまま。
左:「さよなら交通博物館」のヘッドマークが装着された蒸気機関車。2006年5月4日撮影
中:本館屋上から中央線の線路と万世橋駅跡を見下ろす。今は無き201系が通過中。2006年5月4日撮影
右:閉館直前に特別公開された万世橋駅の遺構。階段の滑り止めは戦時中の金属供出で外されたまま。2006年2月25日撮影

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 しかし、開設から半世紀以上を経た建物は老朽化が激しく、東京都心に位置することから拡張も困難であることから、JR東日本発足20周年の記念事業としてさいたま市大宮に移転することが決定されました。閉館前の数ヶ月間は毎日人数限定で博物館の裏側に残された万世橋駅の遺構の見学ツアーも開催され、2006年5月に惜しまれながらその歴史に幕を下ろしました。
 2008(平成20)年10月にオープンしたさいたま市の新博物館は名称が「鉄道博物館」とされ、鉄道専門の博物館として運営されています。移転後は敷地面積が数倍に拡張され、展示車両も明治から昭和にかけて全国で活躍した約40両が揃えられ、鉄道の仕組みや歴史を体系的に知ることができる学習施設としても機能しています。展示物の構成は将来の入れ替えや拡張も考慮に入れられており、早くも2009(平成21)年10月にはJR西日本から譲り受けた新幹線0系先頭車が展示物として追加されています。

鉄道博物館の全景。手前は来館者が運転をしながら信号システムの仕組みが理解できるミニ列車。 鉄道博物館の全景。手前は来館者が運転をしながら信号システムの仕組みが理解できるミニ列車。 鉄道のシステムを体系的に学習できる展示も大幅に充実している。
左:鉄道博物館の全景。手前は来館者が運転をしながら信号システムの仕組みが理解できるミニ列車。
中:鉄道博物館の館内。明治~昭和に活躍した車両が勢ぞろいしている。
右:鉄道のシステムを体系的に学習できる展示も大幅に充実している。3枚とも2008年2月18日撮影

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▼脚注
※交通文化振興財団は交通博物館の閉館まで交通博物館の館内に事務所を置き、青梅鉄道公園(東京都青梅市)の運営も受託していた。現在は本部事務所を大阪市の交通科学博物館内に移転し、京都市にある梅小路蒸気機関車館近日別記事にて解説予定)とともに運営を行っている。

▼参考
「旧万世橋駅のうつりかわり - 交通博物館 解説シートNo.102-2」
など交通博物館閉館直前に配布されていた資料各種
鉄道博物館(公式Web)

▼関連記事
交通博物館 その1(2006年2月27日作成)
交通博物館 その2(2006年2月27日作成)
交通博物館にEF55 1(2006年3月26日作成)
交通博物館Part???(2006年5月4日作成)
閉館後の交通博物館(2006年6月17日作成)
交通博物館の跡(2007年7月5日作成)
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鉄道博物館(2月18日訪問)その2 (2008年3月12日作成)

■交通博物館跡地はオフィスビルに

閉館直後にエントランス(入場券売り場付近)に掲げられていたメッセージ。 建物の半分が取り壊されたところ。



左:閉館直後にエントランス(入場券売り場付近)に掲げられていたメッセージ。2006年6月10日撮影
右:建物の半分が取り壊されたところ。2010年3月28日撮影

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 閉館後の交通博物館は展示物の搬出のため一部の建物が取り壊された以外はしばらくの間そのままの状態で残されていました。これは前記した通り館内に交通文化振興財団の事務所があったためですが、2009(平成21)年に事務所の大阪への移転が完了したため、いよいよ建物の取り壊しが開始されました。そして2010(平成22)年3月、土地を所有するJR東日本から跡地の再開発計画が発表されました。それによると、新たに建設されるのは地上20階、地下2階建のオフィスビルで、テナント構成は貸しオフィス・ビジネススクール・カルチャースクールが予定されています。中央線側は高架橋から離した位置にビルが建設されることになっており、レンガ高架橋や神田川の景観を生かした景観を形成することが考えられています。また、ビル本体については断熱性向上による空調効率改善、屋上緑化、自転車通勤促進に向けシャワー室を完備するなど環境にも配慮した施設となる計画です。

交通博物館跡地に建設されるビルの概要
ビル名称神田万世橋ビル(仮称)
住所東京都千代田区神田須田町1丁目25番
敷地面積3,272.38平方メートル
構造鉄骨造
階数・高さ地上20階・地下2階(高さ99.5m)
建築面積1,693.33平方メートル
延床面積28,499.22平方メートル
用途貸事務所・店舗・ビジネススクール・カルチャースクール
設計者株式会社ジェイアール東日本建築設計事務所
運営会社株式会社ジェイアール東日本ビルディング
着工時期2010年6月上旬
竣工時期2012年12月末(予定)
 

万世橋の上から建設中のビルを見上げる。
万世橋の上から建設中のビルを見上げる。
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 2012年6月現在、建設中のビルは最上階付近まで鉄骨が組みあがっており、下から5階程度までは外装(窓ガラスの取り付け)も完了した段階となっています。完成した外装は隣にある中央線のレンガ高架橋に合わせて四隅が茶色く縁取られており、ガラス張りの現代的な外観でありながら、歴史的建造物との調和も意識したデザインとなっています。

交通博物館のエントランスがあった付近。ビル建設の工事車両出入口となっている。脇を走る中央線の車両は201系からE233系に変わった。 交通博物館閉館直前の同じ場所。現在の風景から当時を思い出すことは困難になりつつある。
左:交通博物館のエントランスがあった付近。ビル建設の工事車両出入口となっている。脇を走る中央線の車両は201系からE233系に変わった。
右:交通博物館閉館直前の同じ場所。現在の風景から当時を思い出すことは困難になりつつある。2006年5月4日撮影

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交通博物館のエントランスがあった中央線高架橋脇はビル建設の工事車両の出入口となっており、時折トラックなどが出入りしています。なお、交通博物館があった当時、手前の道路には車での来館者に配慮してパーキングメーターが設けられており(ただし、駐車時間は最大60分なのであまり意味は無かった模様)、双方向通行も可能でした。しかし、現在はそのような需要もないうえ、工事車両の出入りの支障になることから小川町方面から秋葉原方面への一方通行としたうえで、パーキングメーターも撤去されています。

神田・小川町方面から建設中のビルを見る。こちらは壁面がグレーとなっている。 交通博物館閉館直後の同じ場所。右背後に見えるビルの形から辛うじて同じ場所であることが伺える。
左:神田・小川町方面から建設中のビルを見る。こちらは壁面がグレーとなっている。
右:交通博物館閉館直後の同じ場所。右背後に見えるビルの形から辛うじて同じ場所であることが伺える。2006年6月10日撮影

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 中央線とは反対側の神田・小川町側は壁面がガラス張りではなく、グレーのパネルとなっています。2010年にJR東日本から発表された文書によるとこちら側にはエレベータが設置される予定となっており、その部分の壁が手前に張り出していることがわかります。交通博物館があった当時は建物の背が低かったため、背後には秋葉原駅前に建つダイビルが見えましたが、現在はそれも隠れてしまい、右背後に見える雑居ビルの形状から辛うじて同じ位置であることが確認できます。
 なお、建設中のビルは1階の一部がピロティ(柱のみの屋外の空間)とすることが考えられており、奥にある中央線のレンガ高架橋が見渡せる空間となる模様です。


■万世橋駅の遺構の行方は?

中央線高架下にあった万世橋駅ホームへ登る階段の跡。この遺構の扱いは如何に?
中央線高架下にあった万世橋駅ホームへ登る階段の跡。この遺構の扱いは如何に?2006年5月4日撮影

 この「神田万世橋ビル(仮称)」は今年12月末の完成が予定されています。
 ビル建設の状況とともに筆者が個人的に気にしているのは、中央線の高架下にある旧万世橋駅の遺構の扱いです。交通博物館の建物は解体されましたが、旧万世橋駅のホームへ通じる階段は中央線のレンガ高架橋の内部にあり、ビル建設の範囲には重複しません。このため、そのまま残すことも、撤去して埋めてしまうことも可能ですが、この遺構の扱いについて現時点でJR東日本から詳しい情報は発表されていません。ただ、この付近の高架橋は建設が古いことから、耐震補強が必要であり(階段跡以外のアーチ部分は内巻きコンクリートで補強されたことを確認済み)、遺構を残してしまうとその存在が補強工事の支障になることが予想されます。また、もし遺構が残された場合でもこれまでと違い来訪者が限定されないオープンな空間に出てしまうことから、心無い人による破壊のリスクを避けるため常時公開することは難しいものと考えられます。
 交通博物館の跡地は東京都心の一等地ということもあり、歴史的建造物の保存・維持と土地の高度利用の両立を図っていくことは容易ではないことを示しているのかもしれません。

▼参考
神田万世橋ビル(仮称)の建設について - JR東日本(PDF)

▼関連記事
交通博物館の跡地再開発(2010年3月28日取材)(2010年6月7日作成)




<2012年7月3日追記>
上記の予想に反して、JR東日本より万世橋駅の遺構について観光施設として大々的に活用していくことが発表されました。詳しくはJR東日本のプレスリリース文書をご覧ください。

▼参考
中央線神田~御茶ノ水間の赤レンガ高架橋に新たな名所が誕生します!~旧万世橋駅遺構を整備活用し、まちの魅力向上をめざします~ - JR東日本(PDF)

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