山中へ消える線路の正体 - 東海道貨物線(1)

東海道貨物線~生見尾・港北・釜台八幡・猪久保~まもなく都心直結ルートに生まれ変わる住宅街にそびえる壁の正体

2008年から連載をスタートした「建設史から読み解く首都圏の地下鉄道」シリーズは読者の皆様の熱いエールを受け、5回目に入る運びとなりました。日頃の応援に深く感謝申し上げます。
首都圏で4つ目に採り上げるのは東京都・神奈川県を走るJR東海道本線の貨物専用線である「東海道貨物線」です。東海道貨物線は東京都港区の浜松町駅を起点に、臨海部にある東京貨物ターミナル駅、川崎貨物駅、内陸部に移動して貨物駅の横浜羽沢駅を経由し、東戸塚駅から先は小田原駅まで東海道本線と複々線となって走行します。今回はこの中から鶴見~東戸塚間の横浜市内陸部を通る区間について採り上げます。この区間は地形の急峻な住宅街の中を横断しており、高架橋と山岳トンネルを多用した複雑な構造となっています。住宅街の中に位置することから、トンネル区間は立坑などの工事跡はあまり残っておらず、先の4つの路線と比べると「見どころ」はあまり多くはありません。一方で建設に際しては激しい反対運動が展開されたことで有名であり、実際の構造物にもその結果が色濃く反映されています。今回は完成当時に国鉄が発行した「東海道線線増工事誌:品川-小田原間」を参考に、それらの反対を受けての対策などについても触れながら、各構造物の特徴を見てまいりたいと思います。
なお、この区間は先の4路線とは異なり全長が10kmを超えるため、現地の調査に非常に時間がかかります。このため、1か月に1~2記事程度のペースで連載を行う予定です。全体の連載数は10~20記事程度の計画です。

■山中へ消えていく線路
東海道線の東京~横浜間は京浜東北線や横須賀線が並行し複々線~3複線となっている。写真は京浜東北線・山手線・東海道新幹線が並行する田町駅。
東海道線の東京~横浜間は京浜東北線や横須賀線が並行し複々線~3複線となっている。写真は京浜東北線・山手線・東海道新幹線が並行する田町駅。2006年9月8日撮影

 東海道本線は東京~神戸間589.5kmを結ぶ在来線である。現在でこそ長距離輸送はほとんどが新幹線や航空機にとって代わられ需要は減ってはいるが、東京・名古屋・大阪の三大都市圏近傍の区間はすべて複々線以上の設備を有し、日本最大級の幹線鉄道としての地位は不動のものである。このうち、首都圏を通る東京~小田原間83.9kmは複々線、もしくはそれ以上の本数の線路が並行している。特に、大船駅以北は東海道線の旅客線(複線)と横須賀線(複線)、貨物線(複線)もしくは京浜東北線(複線)が入れ替わり立ち替わりで並行し、朝夕のラッシュ時には15両編成という長編成の電車が最短わずか3分という間隔で走行する、世界的に見ても特異な光景が繰り広げられる。

東戸塚駅を出発する横須賀線上り列車。左に並行する2本の線路が貨物線。貨物線はこの先猪久保トンネルに入ると何処へと行方をくらましてしまう。
東戸塚駅を出発する横須賀線上り列車。左に並行する2本の線路が貨物線。貨物線はこの先猪久保トンネルに入ると何処へと行方をくらましてしまう。2012年11月25日撮影

 小田原駅から東海道線の上り列車に乗ると、左側(北側)に延々と複線の線路が並行する。この複線の線路は今乗っている旅客線とは異なり、ホームは茅ケ崎と藤沢にしかなく、時折すれ違うのは貨物列車ばかりである。よって、この線路は実質的には貨物専用であると見当がつく。大船で右側(南側)から横須賀線が合流し、戸塚から先は横須賀線が貨物線と東海道線の間に移動する。そして東戸塚を過ぎると貨物線・横須賀線と東海道線は若干離れ、東海道線は日本では現役最古の鉄道トンネルである「清水谷戸トンネル」に入り、貨物線と横須賀線もほぼ同じ位置でそれぞれ「猪久保トンネル」「品濃トンネル」に入る。このトンネルの上にある山はかつて相模国と武蔵国の国境となっていた場所である。トンネルを抜けると元通り3複線が並行するのかと思いきや、左下に現れたのは横須賀線のみである。貨物線は忽然と姿を消し、横須賀線の背後に見える山の中へと吸い込まれてしまったのである。


貨物線の向かう先は一体どこなのだろうか?
武蔵野線に通じている?
それとも極秘裏に地下深くに建設された軍事要塞に通じている?
・・・・・・








■東海道線・横須賀線の分離運転と東海道貨物線




 冗談はこのあたりにしておくことにして、この貨物線は横浜市内陸部にある横浜羽沢駅という貨物駅に通じていることはこのブログの読者の皆様の多くがご存知のことだろう。トンネルの反対側の出口は新子安~鶴見間(京急生麦駅付近)にあり、並行する電車内からでも地下から徐々に上がってくる線路の姿が確認できる。また、この貨物船は前記した通り一応貨物専用線に近い扱いではあるが、線路自体は費用負担の兼ね合いからJR東日本が所有しており、朝夕には「湘南ライナー」などの通勤ライナーの一部がこの貨物線を経由して運転されていることから、実際に乗車して通過することも可能である。また、工事の際の迂回運転や大幅な遅延が生じた長距離列車などが突発的に貨物線経由で運行される場合もあり、最近では2010(平成22)年5月22・23日の辻堂駅ホーム拡幅に伴う線路切替の際このルートが活用されている。これらの列車は大船駅や横浜駅を通過するため、時刻表でも容易に区別が付く。

貨物線の反対側の出口は鶴見~新子安間にある。後ろに見えるのが京急生麦駅。 辻堂駅ホーム拡幅の際は貨物線が工事個所の迂回ルートとして活用された。
左:貨物線の反対側の出口は鶴見~新子安間にある。後ろに見えるのが京急生麦駅。2012年11月25日撮影
右:辻堂駅ホーム拡幅の際は貨物線が工事個所の迂回ルートとして活用された。2010年5月22日撮影

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 この貨物線の建設が計画されたのは1960年代のことである。当時の東海道線は現在横須賀線が使用している線路が貨物専用線となっており、横須賀線の電車は東海道線と複線の線路を共有していた。高度経済成長期に入ると、沿線の人口は毎年10%近い増加を示すようになり、年を追うごとに混雑は激化していた。このため国鉄では111・113系電車を矢継ぎ早に増備し、編成両数は早くも限界一杯の15両編成となった。しかし、これでも輸送力は全く足りず、最混雑区間である横浜→保土ヶ谷の1965(昭和40)年の混雑率は220%(輸送人数5万3千人)に達していた。このまま人口の増加が続いた場合、10年後の1975(昭和50)年には混雑率は340%(輸送人数9万8千人)に上るとされ、これを解消するには少なくとも2分間隔、1時間当たり30本の運行本数が必要であると予測された。ATS-Pが実用化された現在でこそ当たり前に行われているこのような超過密運行であるが、当時はATS-Sの整備がようやく始まったばかりであり、車両性能のばらつきも大きかったことから、安全面を考慮すれば3分間隔、20本の運行本数が限度と考えられた。(参考までに、現在の平日朝ラッシュピーク時に横浜~大船間の各駅を発着する東京方面行き旅客列車の本数は横須賀線・東海道線・湘南新宿ラインを合計すると30~35本である。実際はこれ以外に貨物列車なども加わるため、さらに本数は増える。)
 このような理由から、線路容量増大のためのバイパス新線の建設が不可避となった。当時の東海道線の複々線は平塚駅が西端となっていたが、宅地開発はなお西に拡大する兆しを見せていたため、小田原までの線路容量が不足することも自明であった。このため、東海道線・横須賀線・貨物列車の走行ルートを分離することを主たる目的に、バイパス新線の建設区間は東京~小田原間とし、以下のような方法で建設を図ることとなった。

東海道線東京~大船間配線図
東海道線東京~大船間配線図
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(1)東京~品川間
この区間は成熟した都市となっていることから、既存の路線に新しい線路を継ぎ足すことは不可能であるため、地下に横須賀線専用のトンネル(東京トンネル)を建設する。横須賀線の東京駅は丸の内駅前広場地下に置き、千葉方面から建設される総武快速線と直通運転を行う。

(2)品川~新鶴見操車場間
既存の貨物線(品鶴線)を横須賀線に転用する。貨物列車は首都圏外郭部に建設する武蔵野線や臨海部に建設する京葉線に迂回させる。また、沿線の利便性向上のため、西大井駅を新設する。

(3)新鶴見操車場~鶴見間
新鶴見操車場内に旅客線専用の線路・高架橋などを建設し、横須賀線の走行ルートとする。また、沿線の利便性向上のため、新川崎駅(建設中の仮称は新鹿島田駅)を新設する。

(4)鶴見~大船間
既存の貨物線を横須賀線に転用する。保土ヶ谷~戸塚間には東戸塚駅を新設する。貨物列車は臨海部を通る高島線・根岸線および内陸部に新規に建設する新線に迂回させる。また、内陸経由の新線上には年間120万トンの貨物を扱うことができる貨物駅(横浜羽沢駅)を新設し、保土ヶ谷駅の貨物扱い設備は廃止する。

(5)大船~平塚間
海側に旅客線(複線)を増設し、3複線化する。また、大船~藤沢間の貨物線上には湘南貨物駅を新設する。

(6)平塚~小田原間
山側に貨物線(複線)を増設し、客貨分離を図る。平塚~大礒間に相模貨物駅、国府津~鴨宮間に西湘貨物駅を新設する。また、国府津駅には列車本数の増加に対応するため、新しい車両基地(国府津電車区)を新設する。

 なお、上記の配線図は今回のレポートで主たる参考文献とした「東海道線線増工事誌」(国鉄東京第二工事局1976年刊)に記載の図を元に作成したものである。これは大雑把に描かれた計画初期段階の図となっており、実際の配線とかなり異なっている箇所があるため、その部分は現在の航空写真などから照らし合わせて描いている。このため、東海道貨物線の完成当時とは異なっている可能性がある点を御了承願いたい。

保土ヶ谷駅の留置線は貨物駅の名残。 横浜方の保守基地も貨物駅の名残。
内陸部の横浜羽沢駅完成に伴い、保土ヶ谷駅の貨物駅は廃止された。横須賀線上り線の隣にはその名残で留置線が2線ある。その隣にあるマンションや横浜方の保守基地も貨物駅の跡地。2012年11月25日撮影
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 この東海道線・横須賀線の分離運転計画は、東海道線の列車番号のサフィックスが「M」、横須賀線の列車番号のサフィックスが「S」であったことから、「M・S分離」(あるいは「S・M分離」)と呼ばれている。上記計画のうち、大船~平塚間の3複線化はその後の鉄道貨物輸送の大幅な衰退などにより実行されずに終わってしまったが、そのほかの計画については現在までにすべて完成し、その威力を遺憾なく発揮している。
 しかし、今回取り上げる鶴見~東戸塚間の建設に当たっては、沿線住民の反対運動という大きな壁が立ちふさがることになる。次回はこの区間の詳しい線形や構造と計画が明らかになるや否や起きた激しい反対運動について見ていくことにしたい。

(つづく)
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