幻の成田新幹線計画と東京駅(その2) - 京葉線新東京トンネル(20)


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前回の記事では成田新幹線全体の概要について述べたので、本記事では京葉線と関わりが深い東京駅付近の地下区間について解説する。成田新幹線の東京地下区間は大きく分けて「東京地下駅」と「東京駅~越中島貨物駅間のトンネル」の2つに大別することができるので、本記事でもこれらについて項目を分けて解説することとする。

■成田新幹線の東京地下駅
▼参考
成田新幹線の計画 東工25-1(昭和49年3月)41~55ページ 日本国有鉄道東京第一工事局刊
東京駅第7乗降場新幹線転用工事について 東工27-2(昭和51年12月)1~12ページ 日本国有鉄道東京第一工事局刊
京葉線工事誌 849ページ


成田新幹線東京駅の計画位置。赤色の線が駅の外枠、黄色の線が換気塔、緑色の線が地上出入口。
(C)国土交通省 国土情報ウェブマッピングシステムカラー空中写真データ(昭和59年)に筆者が加筆

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成田新幹線の東京駅は現在の京葉線と同じ鍛冶橋通り直下に計画された。この場所が選ばれた理由は

1、都心に直結している。
2、在来線・二次交通機関との連絡等すべてに便利である。
3、接客設備等(駅前広場)に必要な用地を鍛冶橋付近の国鉄用地11,000平方メートルを利用できる。
4、将来新宿方面に延伸する場合、道路等公有地を利用でき延伸可能である。


という4つの条件を満たすためである。なお、前回の記事で述べたとおりこの成田新幹線東京駅と後述する越中島貨物駅までのトンネルは国鉄の営業に直接影響するため、鉄建公団ではなく国鉄が直接工事を行う計画だった。


成田新幹線東京地下駅の断面図(東工25-1 49ページ図-6を元に作成)
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成田新幹線の東京地下駅は現在の京葉線とは異なる地下5層構造で、地下1階が改札外コンコースと旅行事務所、地下2階が新幹線用改札口コンコース、地下3階が機械室、地下4階が改札内コンコース、地下5階がホームという構成で計画された。コンコースを地下1階と2階に分けているのは地下1階に相当する部分に営団地下鉄(現・東京メトロ)丸ノ内線が通っているため、この階にすべてのコンコースを充てたとしても途中で分断されてしまうためである。この成田新幹線東京地下駅は東京駅の「本体」との連絡を考えると中心を国鉄高架橋(東海道線)に重ねるのが望ましい。しかし、地上の鍛冶橋通りが八重洲側で大きく屈曲しているため、そのままでは地下の線路も急カーブとなってしまう。このためやむを得ず駅の中心を80m皇居側にずらすこととなり、西側で当時建設中の横須賀線のトンネル(東京トンネル)と交差することとなったため、横須賀線のシールドトンネルは1972(昭和47)年の建設時に梁構造のインバートコンクリート※1と厚さ20cmの二次覆工により補強を行った。この補強は成田新幹線東京地下駅建設時の受替え部の厚さを極力削減し、新幹線の軌道を浅くするための策であったが、それでも新幹線の軌道深さは地表面から33mと非常に深い位置となった。
地下5階のホームは2面4線で、いずれも12両編成対応の310mとなっている。(開業当初は6両分のみを使用するため、中央を壁で仕切る予定だった。)前回の記事で示した成田新幹線の需要予測によれば運行本数は最大7本/時であり、この本数ならば1面2線で十分なはずである。にもかかわらず、最大12本/時の運行を想定した2面4線というかなり余裕をもった設計となったのは地下駅で将来の拡張が困難であることや、新宿方面への延伸を考慮したためである。ホームの幅についても同様の理由から最大10mとされており、現在の京葉線東京駅とは異なり中央2線間に柱があることや車体幅が広い新幹線用の駅であることも相まって、幅37mの鍛冶橋通りの中に納まりきらず南側の東京都庁第一庁舎(現・東京国際フォーラム)の敷地に大きく食い込んでいる。(駅全体の正確な幅は不明だが、構造が似ている東北新幹線上野地下駅など参考にすると45m前後と考えられる。都庁敷地内については地上から掘り下げることが不可能なため、地下4・5階のみを非開削で建設する予定だったようで「東工」に掲載されている図面では地下1~3階がかなりいびつな形となっている。)また、換気塔もこの都庁敷地内に設置される計画となっており、実現していれば現在の東京国際フォーラムは設計に相当苦労したものと思われる。

▼脚注
※1:「インバートコンクリート」円形のシールドトンネルの床面を平らにするために設置するコンクリートのこと。


南部高架橋の位置。赤枠の部分が1期工事で施工された部分。
(C)国土交通省 国土情報ウェブマッピングシステムカラー空中写真データ(昭和59年)に筆者が加筆

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成田新幹線東京地下駅と東京駅「本体」の連絡通路は丸の内側、八重洲側の2か所に設置する計画であった。丸の内側は横須賀線トンネル上層階を利用することとし、1972(昭和47)年の同線建設時に躯体のみ構築された。これについては以前作成した横須賀線東京トンネルのレポートで解説しているのでそちらを参照願いたい。

▼関連記事:丸の内側の連絡通路について
東京駅(横須賀線側の概説) - 総武・東京トンネル(15)(2008年8月3日作成)

一方八重洲側は山陽新幹線博多開業に伴う第7ホーム(現・東海道新幹線14・15番線ホーム)の新幹線転用と東北新幹線東京駅乗り入れに合わせて拡幅される高架橋の下部を利用することとした。この拡幅用の高架橋は「南部高架橋」といい、全体が9のブロックに分割されている。いずれのブロックも地上3層、地下2層の構造で、おおむね以下のような使用方法が計画されていた。

最上階(屋上):新幹線軌道階
中2階     :成田新幹線乗務員用施設
1階       :成田新幹線改札関係・その他業務施設
地下1階     :機械室
地下2階    :成田新幹線東京地下駅への連絡通路

一見、この南部高架橋は位置的に東北新幹線とは無関係ではないかと思われるかもしれない。しかし、当初の計画では東海道新幹線と東北新幹線は相互乗り入れをすることになっており、東京駅では第7ホームと第6ホーム(現・東北新幹線22・23番線ホーム)を両線で共用し、南部高架橋の最上階は両ホームと東海道新幹線新大阪方面を接続する線路が敷設されることになっていたのである。このため、工事費についても東海道・東北・成田の3線分で折半する形となっている。なお、この南部高架橋の9ブロックのうち北側の4~9のブロックは前述の第7ホームの新幹線転用に直ちに必要となるため、1期工事として1973(昭和48)年~1975(昭和50)年にかけて先行して工事が行われた


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東京駅の南部高架橋付近の航空写真(Googleマップ)画面上端中央の車止めが東北新幹線(20~23番線)の線路。その車止めの延長上にある斜めに突き出た高架橋が南部高架橋の1期工事で建設された部分。

このように成田新幹線の東京駅はいずれも公道地下や国鉄線用地内に建設される予定となっており、新規に土地を買収する個所はほとんど無い。しかし、実際に完成したのは丸の内側の横須賀線上部の連絡通路躯体とこの南部高架橋の1期工事のみであり、他の部分に関しては工事すら行われなかった。(このことは後の京葉線地下駅の着工時期や工事内容からもわかる。)用地の問題が少ないにもかかわらず、地下駅本体の建設が行われなかった理由は不明であるが、前回の記事で述べたとおり建設反対運動により成田新幹線自体の先行きが不透明であったことや国鉄の経営悪化による極端な工事抑制により、工事費が高額となる地下駅の建設を躊躇せざるを得なかったものと考えられる。南部高架橋は2期工事に備えて端部を増築可能な形で建設したが、成田新幹線の建設中止に加え、国鉄分割民営化により東海道新幹線と東北新幹線の直通運転も断念されたことから、結局この構造も無駄なものとなってしまった。

■東京駅~越中島貨物駅間のトンネル(江東トンネル)
▼参考
成田新幹線の計画 東工25-1(昭和49年3月)41~55ページ 日本国有鉄道東京第一工事局刊

成田新幹線の東京駅~越中島貨物駅間のルートが現在の京葉線のルートと重複しているのは本レポートの東越中島立坑の記事や越中島駅の先の公務員宿舎のアンダーピニングに関する記事ですでに述べたとおりであるが、この成田新幹線のルートが前回の記事でも参考文献とした「東工」に詳しく掲載されているのでここでさらに詳しく解説したい。


東京駅と「江東トンネル」の縦断面図。(東工25-1 46ページ図-3を元に作成)比較のため、京葉線の断面図に重ねて描いた。
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東京地下駅を出た成田新幹線は営団地下鉄(現・東京メトロ)銀座線京橋駅付近まで開削トンネルで進み、ここに設置される「第1たて坑」から「江東トンネル」と称する全長約4.1kmの上下線が別のシールドトンネルとなる計画であった。シールドトンネルは列車の走行速度を160km/hと想定して標準的な外径を8.86mとし、通過する地質は建設時の施工性を考え洪積層からやや硬めの沖積層が中心となるよう計画された。また、途中に第2~第5の4つの立坑を設置する計画となっていた。立坑の位置を以下に示す。

第2たて坑:地質が変化する隅田川右岸(現在の京葉線隅田川立坑と同位置→関連記事
第3たて坑:越中島公務員宿舎敷地内(→関連記事
第4たて坑:汐浜運河付近(現在の京葉線東越中島立坑と同位置→関連記事
第5たて坑:越中島貨物駅構内(現在の京葉線越中島換気所と同位置→関連記事

立坑の位置からわかる通り、この成田新幹線江東トンネルの平面上のルートは現在の京葉線新東京トンネルとほぼ同一となっている。(ただし、現在の京葉線ではトンネル出口付近に半径400mの曲線があるが、成田新幹線では速度向上のためもう少し大きい半径をとっていた可能性がある。)一方、縦断面方向は成田新幹線が越中島貨物駅方向へ向かってなだらかな上り勾配となっているのに対し、京葉線は途中駅があるため30パーミルを超える急こう配でアップダウンを繰り返しており、共通点は全く無いといっても過言ではない。これまで述べてきた京葉線各工区の施工時期とも照らし合わせると、京葉線の新東京トンネルは成田新幹線用に建設されたものを流用したのではなく、京葉線用として新規に建設されたものと見て間違いない。

第5立坑付近から先は19.8パーミルの勾配(特認※2で地上に出た後、一気に高架橋へ駆け上がる計画だった。成田新幹線計画に際して最も反発が強かったのがこの新幹線が高架橋に上がってすぐの東京都江戸川区~千葉県浦安市にかけての地域である。よって、もう少し地下区間を延長すれば反対運動も避けられたはずである。そのような情勢下であえて地上へ出る場所を越中島貨物駅構内に拘ったのは国鉄用地で買収が不要なことはもちろんであるが、最大の理由はこの越中島付近を境にして東側の地盤沈下が著しく、後のメンテナンス等を考慮すると地下にトンネルを建設するのが困難であったためである。総武・東京トンネルのレポートでも触れたが、成田新幹線が計画されていた当時はまだ都区内でも地下水のくみ上げが無制限に行われており、特に江東区や江戸川区など埋立地を中心に年間数十cmというオーダーで地盤沈下※3が進んでいた。このような場所にトンネルを掘ったとしても完成から数年で変形してしまい、特に高い管理精度を要求される新幹線用としては到底使い物にならないと判断されたものと思われる。

▼脚注
※2:新幹線鉄道構造規則(昭和39年制定、平成14年廃止)によると新幹線の線路勾配は最大15パーミルと規定されており、これを超えるものは基本的に特認を取る必要があった。
※3:現在は揚水が規制されているため地盤沈下は停止したが、この時地盤沈下の影響によりこの地区一帯は現在も満潮時に海面より標高が低くなるゼロメートル地帯となってしまっている。

ここまで2記事にわたり成田新幹線全体と東京地下区間の概要について解説した。次の記事ではこの成田新幹線の予定地を使用して建設された京葉線東京地下駅について解説する。

(つづく)
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