カテゴリ:建設史から読み解く首都圏の地下鉄道 > 《番外編》JR東西線
JR東西線(片福連絡線)の生い立ち - JR東西線(1)
公開日:2010年09月15日13:30

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■はじめに
FC2でのブログ開設当初よりお送りしている「建設史から読み解く首都圏の地下鉄道」シリーズ。今回はちょっと早い気もしますが、番外編ということで首都圏を飛び出して大阪中心部を貫くJR東西線(建設時の名称は片福連絡線)について取り上げたいと思います。
今回参考文献で使用するのはおなじみ日本鉄道建設公団(鉄建公団、現在の鉄道建設・運輸施設整備支援機構)が1998(平成10)年に発行した「JR東西線(片福連絡線)工事誌」と鉄道・土木・建設関係の各専門雑誌です。今回はさまざまな資料を利用したものの、路線の正確なデータを全て得るには至らず、また初の遠方における実地調査ということで不正確な箇所も多々ございますが個人で調査する限界ということでご容赦願いたく存じます。
■経済情勢に翻弄された片福連絡線計画
▼参考
片福連絡線計画について - だいこう 26巻1号(1980年)99~111ページ
JR東西線(片福連絡線)工事誌 - 日本鉄道建設公団1998年 1~5ページ
JR学研都市線木津駅からJR宝塚線三田駅までのエリア
JR東西線は大阪市都島区の京橋駅から尼崎市中心部の尼崎駅を結ぶ全長約12.5kmの通勤路線で、その大部分が地下区間となっている。この路線は建設時の「片福連絡線」という名称が示すとおり片町線(JR学研都市線)と福知山線(JR宝塚線)を連絡する路線として昭和30年代からその必要性が議論されていた。その経緯が国鉄大阪工事局の部内雑誌である「だいこう」の1980年版に記されている。
片福連絡線の歴史は1967(昭和42)年3月に国鉄が片町線・福知山線沿線の宅地開発の進行による利用客増加に対応するため、大阪市に対し両路線の市営地下鉄乗り入れを打診したことに始まる。その4年後に発表された都市政策審議会(現在の交通政策審議会)の第13号答申で片福連絡線の整備が「緊急」と位置づけられことを受けて、1973(昭和48)年12月の第5回大阪圏高速鉄道網整備推進会議で建設主体を国鉄とすることが決定した。建設主体を国鉄としたのは国鉄が大阪市営地下鉄に乗り入れる形態をとった場合、車両の運用や運賃計算などが複雑化し利便性を損ねることが懸念されたためである。
しかし、その直後に日本経済にオイルショックの嵐が吹き荒れ、沿線の宅地開発が停滞。それとほぼ同時に国鉄の経営悪化の深刻度がいよいよ増しはじめ、早期の整備が困難となってしまった。1979(昭和54)年9月、国鉄は第9回大阪圏高速鉄道網整備推進会議において片福連絡線は福知山線・片町線の複線・電化や大阪駅前の再開発に合わせた整備を検討中であることを踏まえたうえで、工事費の助成率アップや範囲の拡大など関係機関への協力の要請を行うに至った。
■片福連絡線の必要性
▼参考
片福連絡線計画について - だいこう 26巻1号(1980年)99~111ページ
しかし、一方でこの「だいこう」では片福連絡線の必要性についても論じている。
関西圏鉄道各線の混雑率(1976(昭和51)年)
路線名 | 区間 | 乗車率(単位:%) |
国鉄片町線 | 鴫野→京橋 | 257 |
国鉄関西本線 | 平野→天王寺 | 251 |
国鉄阪和線 | 杉本町→天王寺 | 243 |
京阪本線 | 野江→京橋 | 211 |
南海高野線 | 南塚山→岸里 | 200 |
当時、関西圏の鉄道は各方面とも国鉄のシェアは高くてもせいぜい30~40%程度で私鉄が優勢となっていた。これは国鉄線が電化や複線化などインフラ整備の遅れに起因して、私鉄よりも所要時間がかかる、本数が少なく利用しづらいなど私鉄よりも不利な点が多かったためである。ただ、シェアが低いとはいえども国鉄各線では朝ラッシュ時の乗車率が混雑緩和の目標とされる180%を軒並み超えており、混雑緩和に向けた対応が急務となっていたのは首都圏と同じ状況であった。
特に片町線の乗車率は関西圏の私鉄を含む全ての鉄道の中でダントツ1位の257%を誇っており、可及的速やかにその解消を行う必要があった。しかも、これに追い討ちをかけるように片町線の沿線では大規模な宅地開発が多数計画されており、ただでさえ酷い混雑に拍車を掛けることは火を見るより明らかである。また、当時の片町線は京橋駅で大阪環状線をくぐったすぐ先にある片町駅(JR東西線開業と同時に廃止)が終点で、肝心の大阪駅周辺や中之島にあるのオフィス街へ向かうには他線への乗換えが必須となることが、通勤輸送や私鉄との競争の上でのウイークポイントとなっていた。
一方の福知山線はというと片福連絡線の計画が具体化した昭和50年代の時点ではまだ宝塚駅までの複線・電化を進めている最中、宝塚駅以西に至っては武庫川の崖にへばりつくように敷設された単線の線路をディーゼル機関車牽引の客車列車が走る有様で完全に時代から取り残された状態であった。また、大阪中心部へのアクセスは尼崎駅から東海道線経由で大阪駅に乗り入れる形態をとっていた。しかし、この福知山線沿線についても大規模な宅地開発がいくつも始まっており、それに呼応する形で武庫川沿いを走っていた生瀬~道場間の別線付け替えが実施されることになった。
以下に片町線、福知山線双方の沿線で計画されていた宅地開発とその計画人口、完成予定年度を示す。また、参考までにこれら開発地区の現在の名称と人口が判明したものについては併記した。(ただし、地区の範囲が一致しないため正確な意味での比較ではないことをご留意願いたい。)
片町線沿線の宅地開発と人口規模
開発地区名 | 計画人口(人) | 完成年度(年) | 現状 |
平城ニュータウン | 65000 | 1990 | けいはんな学研都市 (京田辺・木津川・精華) 98000(1・2・3) |
京阪奈ニュータウン | 32000 | 〃 | |
長尾 | 16100 | 〃 | けいはんな学研都市 (枚方市) 31500(1・2・3) |
枚方 | 42500 | 〃 | |
津田 | 25500 | 〃 | |
交野 | 15500 | 〃 | けいはんな学研都市 (交野市) 15000(1・2・3) |
星田 | 19700 | 〃 | |
寝屋川 | 22000 | 〃 | |
忍ヶ丘 | 36400 | 〃 | けいはんな学研都市 (四条畷市) 11000(1・2・3) |
四条畷 | 13000 | 〃 | |
計 | 287700 | - | - |
福知山線沿線の宅地開発と人口規模
開発地区名 | 計画人口(人) | 完成年度(年) | 現状 |
萩原台ニュータウン | 4800 | 1975 | 川西ニュータウン・萩原台 4500(4) |
クラレニュータウン | 20000 | 〃 | 中山台ニュータウン 22400(5) |
山口地区(生瀬駅周辺) | 9000 | 1985 | |
名塩(西宮名塩駅) | 9000 | 〃 | 西宮名塩ニュータウン 12000(計画)(6) |
花乃峯住宅(西宮名塩駅) | 2300 | 1990 | |
宝塚高原(武田尾駅) | 3000 | 1980 | |
北神戸(神鉄道場駅) | 40000 | 1985 | 神戸リサーチパーク鹿の子台 15100(計画)(7) |
北摂三田ニュータウン南 | 42000 | 〃 | フラワータウン 25000(計画)(8) |
北摂三田ニュータウン西 | 16000 | 〃 | ウッディタウン 31000(計画)(8・9) |
北摂三田ニュータウン中央 | 70000 | 〃 | |
大谷団地(広野駅) | 10400 | 1990 | |
田子外団地(広野駅) | 4800 | 〃 | |
TYT団地(相野駅) | 36000 | 〃 | ガーデンタウン |
兵庫ニュータウン(篠山口駅) | 6300 | 1982 | (計画取り消し?) |
計 | 273600 | - | - |
▼参考
(1)けいはんな学研都市ポータルサイト Aサイト(暮らし)
(2)関西文化学術研究都市(愛称:けいはんな学研都市)-京都府ホームページ
(3)UR都市機構 関西文化学術研究都市事業本部
(4)川西ニュータウンの街案内:萩原台西・萩原台東・湯山台・鴬が丘・鴬台|不動産会社 東商ハウス雲雀丘花屋敷店
(5)クラレ不動産株式会社 - 会社情報
(6)都市機構 西日本支社 西宮名塩ニュータウン
(7)都市機構 西日本支社 神戸リサーチパーク鹿の子台
(8)三田の都市計画 - 三田市都市整備部都市計画課
(9)UR都市機構 西日本支社 ウッディタウン
このように片町線、福知山線ともに30万人規模の宅地開発が計画されており、これらが完成すれば両線とも利用者が大幅に増加することが予想された。こうなると片町線は他線との接点となる京橋駅が大混雑になる、福知山線は東海道線に乗り入れる大阪~尼崎間が深刻な容量不足となることは必至であり、大阪中心部へ直接アクセスできる片福連絡線が必要であるとの結論が得られる。このような情勢を受けて1978(昭和53)年には国鉄と大阪市が合同で片福連絡線調査委員会を設立し、ルートや整備手法(財源の確保、建設主体など)について検討の深度化を図ることとなった。
■検討された3つのルート
▼参考
片福連絡線計画について - だいこう 26巻1号(1980年)99~111ページ
特集「平成9年開業新線」Ⅱ.JR東西線(片福連絡線) - 日本鉄道施設協会誌1997年7月号13~27ページ
1979(昭和54)年12月、片福連絡線調査委員会は片福連絡線のルートについて3つの案からなる中間報告を発表した。片福連絡線のルートの選定における基本的な考え方は以下の6点である。
1、西梅田、南森町などで地下鉄各線と連絡し、市内最混雑路線である地下鉄1号線(御堂筋線)および梅田駅の混雑緩和に寄与する。
2、大阪駅前の都市計画事業(地下街建設など)との関連上有利であること。
3、経由地は人口や業務施設が集中しており都市内需要も期待できること。
4、バスなど道路交通との結節を図り、交通渋滞の緩和に寄与すること。
5、公共用地を活用し用地買収や支障移転が少なく工期短縮が図れること。
6、地下鉄各線や共同溝建設との整合性を図ること。
このような観点から京橋~福島付近については3案とも現在のJR東西線ルートである京橋駅で地下に入り、大川(旧淀川)の下を横断し、造幣局前庭下を通って国道1・2号線(曽根崎通)の地下を進むという点は同一のものとなった。一方、福島付近から西側については以下のような3案が提案された。
より大きな地図で 片福連絡線3ルート比較 を表示
片福連絡線3ルートの比較
1、国鉄併設ルート(地図上の青の線)
福島付近から半径450mのカーブで北西に進路を変え、阪神高速11号池田線の下を進み、淀川の手前で地上に出た後は東海道線(JR神戸線)に併設する形で尼崎駅まで進む。淀川から先については既存の国鉄用地を極力活用して建設する。
2、国道2号ルート(地図上の緑の線)
福島から先もそのまま国道2号線の下を進み、阪神本線杭瀬駅の西側で直角にカーブして北に進み、塚口駅の手前で現在の福知山線と合流する。(尼崎港線の敷地を利用?)尼崎駅では東海道線と直交することになるため相互乗り入れはできない。
3、折衷ルート(地図上の赤の線)
歌島橋付近で国道2号線を外れて市道曽根御幣島線(大阪府道10号線・みてじま筋)の下に入り、東海道線との交点付近からは同線に並行する形で尼崎駅へ進む。東海道線との取り付け部付近には工場など支障物が多数。
いずれのルートも途中に複数駅を設けることを想定しており、2の「国道2号ルート」と3の「折衷ルート」については当時鉄道駅が乏しかった西淀川区の交通事情改善に配慮したものである。(同じ理由で1の国鉄併設ルートでも塚本~尼崎間に新駅設置を想定。)本記事で参考文献とした「だいこう」では国鉄併設ルートの配線図や地質図が掲載されており、当時の国鉄では併設ルートを前提に検討を進めていたことが窺える。しかし、大阪市との調整の中ではやはり西淀川区の交通事情が問題となったようで、最終的には現在のJR東西線のルートとなっている3の「折衷ルート」に決定した。なお、当時国道1・2号線では地下に共同溝を建設する計画が進められており、片福連絡線はいかなるルートをとったとしてもこの計画との競合は避けられないことから、建設省(現在の国土交通省)と協議のうえ同時並行で工事を進めていくこととされた。
1981(昭和56年)4月、運輸大臣から国鉄に対し大阪環状線京橋~大阪間、東海道線大阪~尼崎間の線増工事として片福連絡線の事業認可が下りた。これにより片福連絡線の着工に向けた準備は大方終わったことになるが、その後もこの路線の建設は国鉄分割民営化により停滞を続けることになる。次回は国鉄分割民営化以降の片福連絡線に関する動きと工事の概略などについて解説することとしたい。
(つづく)
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