カテゴリ:公園・風景花・植物

谷津バラ園(千葉県習志野市)

※この記事はYahoo!ブログから移行したものです。


 
先々週、習志野市にある「谷津バラ園」でちょうど春のバラが満開を迎えているということで行ってきました。谷津バラ園の風景、さらに谷津バラ園の歴史について書こうと思います。(訪問日:2008年6月1日(日))

1枚目
谷津バラ園園内
<PENTAX K10D・smcPENTAX-DA18-55mmF3.5-5.6AL(18mm)・オート(1/180/F6.7/ISO100)>

新品種も開発


谷津バラ園入口
<PENTAX K10D・smcPENTAX-DA18-55mmF3.5-5.6AL(18mm)・オート(1/180/F6.7/ISO100)・トリミング>

谷津バラ園は京成谷津駅から海側に10分ほど歩いたところにあります。園内では700種・6,300株のバラが栽培されており、春と秋の2回、赤、黄、白など色とりどりのバラが満開となります。また、新品種の開発も行っており、他では見られない「谷津バラ園オリジナル」のバラを見ることもできます。

●入園時間
5月・6月:9~18時
7~9月:9~17時
10~4月:9~16時30分

●休園日
毎週月曜日(祝日の場合は翌日)
12月28~1月4日
※5・6・10月と11月の1~15日は休園なし

●入園料
5月~11月15日
大人360円 65歳以上180円 小中学生100円
上記以外の時期
大人180円 65歳以上90円 小中学生50円
※65歳以上は年齢を証明できるものを持参のこと。



ラバグルート
<PENTAX K10D・smcPENTAX-DA18-55mmF3.5-5.6AL(28mm)・絞り(1/45/F9.5/ISO100)・トリミング>



ウェンディ カッソンズ
<PENTAX K10D・smcPENTAX-DA18-55mmF3.5-5.6AL(18mm)・オート(1/60/F6.7/ISO100)>



左上:アナシュカ 右上:ゴールドマリー'84 左下:ジャルダン デゥ フランス 右下:ザンブラ
<組写真のためデータ省略>

園内で咲いていたバラの花のごく一部です。全部載せるとなると数十枚になってしまうため特にきれいだったものを選んでいます。(つまり、それだけたくさんの花が満開を迎えていたということです。)園内には噴水や彫刻などの装飾類も置かれているほか、丘になっている部分もあり園内全体を見渡すことができます。この部分の園路は階段・スロープ両方で接続しており、車いすでも花を鑑賞できるよう配慮されています。その他、鉢植えになったバラの販売も行われており、購入して自宅でバラの花を楽しむということも可能となっています。
ちなみに、最盛期が過ぎましたが、谷津バラ園のホームページによると6月10日時点の開花率は6割弱とのことです。春のバラをご覧になりたい方は今週末が最後のチャンスとなりそうです。お早めにどうぞ。

谷津遊園・谷津バラ園の歴史


京成谷津駅。かつては谷津遊園の最寄り駅として特急も停車していたが、現在普通列車のみ停車。
<CanonPowerShotA700・(6mm)・オート(1/250/F4/感度オート)>

谷津バラ園の土地はかつて京成電鉄が運営する谷津遊園があった場所です。谷津遊園は1925(大正14年)に開園し、太平洋戦争中は「谷津園」と改称しながら運営されました。また、園内にあるバラ園は「東洋一の規模」といわれ、千葉県民の憩いの場として親しまれました。
しかし、1970年代に入ると運営主体である京成電鉄が経営状況が徐々に怪しくなっていきます。その要因としては、かねてから京成本線と競合状態であった総武線の東京~津田沼間が1972(昭和47)年に複々線化され乗客を大量に奪われたこと、成田空港開港が反対派による破壊・妨害を原因として度々延期されたこと(京成電鉄自体も電車に放火されるなど被害を受けた)、さらにそれらの損失を穴埋めすべく副業(不動産・観光事業)に走りすぎた結果オイルショックによる需要減退で収支予想が大きく狂ったことなどが挙げられます。
経営危機はその後も深刻さを増し1977(昭和52)年には無配に転落、さらに1980(昭和55)年には累積赤字が133億円となり、“破綻"の2文字が目前に迫るという極めて危うい事態となりました。これを受け、京成電鉄では10年間で千数百人に及ぶ大規模な人員削減、資産・事業の売却など経営再建を大胆に進めることになります。また、京成電鉄はオリエンタルランド(東京ディズニーランド)にも出資しておりこれと競合することや、先の経営再建計画とあわせ、谷津遊園は黒字経営ながら1982(昭和57)年12月21日に閉園しました。谷津遊園の跡地はすぐに売却される予定でしたが、計画がなかなかまとまらず、京成電鉄は1983(昭和58)年に累積赤字が281億円と一時債務超過に至りました。しかし、その後は大胆な経営再建が成功し順調に累積赤字を縮小、1989(平成元)年には累積赤字を解消し株主配当も復活するなど以前の状況に戻りました。
遊園地の跡地は住宅都市整備公団(現在は都市再生機構(UR)に売却され、「谷津パークタウン一番街」というマンション群に、バラ園は習志野市に売却され若干規模を縮小の上で「谷津バラ園」として存続しています。谷津バラ園の運営から京成電鉄は撤退しましたが、京成電鉄の園芸事業自体は「京成バラ園芸」として千葉県八千代市(京成バラ園)で継続しており、前述の新品種の開発等で谷津バラ園と現在も互いに連携をとっています。



旧谷津遊園「楽天府」、千葉トヨペット本社(千葉市美浜区)。この写真のみ2008年6月6日撮影。
<CanonPowerShotA700・(6mm)・オート(1/800/F4/感度オート)>

戦前、谷津遊園の一施設であった「楽天府」(旧第一勧業銀行本店を移築)はその後千葉市役所として2回目の移築がされた後、1963(昭和38)年に同じ千葉市内の千葉トヨペット本社として3回目の移築を行い、登録有形文化財に指定されながら現在も利用されるという数奇な運命を辿っています。
また、バラ園の端には「巨人軍発祥之地」の碑が設置されていますが、これは読売巨人軍の元になった野球チームがここ谷津で練習を行っていたことによります。

谷津干潟


谷津干潟
<PENTAX K10D・smcPENTAX-DA18-55mmF3.5-5.6AL(18mm)・オート(1/250/F6.7/ISO100)>

谷津バラ園からさらに海側に進むと谷津干潟に出ます。高度経済成長期、京葉地区の沿岸が次々と埋め立てられていく中、この谷津干潟の部分は国有地であったことから埋め立てを免れ、かつての東京湾の特徴であった遠浅の海岸の状態を残しています。市民の熱心な活動が実り、1988(昭和63)年には国指定の鳥獣保護区、その5年後には国際的な湿地帯の保護条約であるラムサール条約に指定されました。年間に観察される鳥の種類は100種に及び、冬場になると渡り鳥が多数飛来し、野鳥の保護・観察場所として利用されています。


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