旧新橋停車場と汐留シオサイト

※この記事はYahoo!ブログから移行したものです。

ちょっと鉄道と関係ないネタも入ってきますが・・・

かつては貨物駅だった汐留シオサイト





東京で旅客列車のターミナルといえば東京駅ですが、その昔日本で鉄道貨物輸送が盛んだったころには汐留地区に貨物列車のターミナルとして「汐留貨物駅」が設けられていました。(他に中央線の飯田橋などにも貨物駅があった。)国鉄民営化の直前の1986(昭和61)年合理化の波を受け、その機能を大井埠頭にある「東京貨物ターミナル駅」に移転して汐留貨物駅はその役割を終え、現在その跡は「汐留シオサイト」という高層ビル群に変わってます。
少し海側に行くと首都高が上を通る海岸通りから朝日新聞社・築地市場の方向へ細い路地が延びており、その入口に踏切の警報機モニュメントとして置かれています。土台の説明にはこう書かれてました。

保存理由
元この高速道路の下には汐留川(※注1)が流れ、鉄橋も架かっていました。
汐留駅は、わが国の鉄道開業当時における始発駅の新橋駅でしたが、大正3年(1914)東京駅が中央駅になると、ここは貨物駅になりました。大震災後、築地に東京市中央卸売市場が完成すると(※注2)汐留駅と市場間に荷物運搬のための線路がしかれ、大きな働きをしたのです。
都民の暮らしの台所を支えたこの信号機を、国鉄の廃止に当り捨て去られるのにしのびず、東京都中央卸売市場築地市場、東京都第一建設事務所並びに中央区教育委員会、地元各位の多大な御協力に依り、ここに永久保存されることになりました。
昭和62年(1987)12月 銀座御門通り会 銀座金春通り会

※注1:首都高速都心環状線の江戸橋JCT~汐留JCTの掘割の区間は汐留川などを埋め立てて建設した。
※注2:関東大震災で日本橋にあった魚市場が被災し、築地に移転した。

つまり、この細い路地は現在は「汐留シオサイト」となっている汐留貨物駅から築地市場への引込み線の跡であるのです。しかもその存在にはあの東京駅の開業が密接に関係しています。来る日も来る日も働き続けた踏切の警報機を地域の財産として大事に保存しているわけですね。


写真詳説
●1段目 左右:汐留シオサイトの高層ビル群。谷間を新交通ゆりかもめが走る。
●2段目 左:高層ビル。下は旧新橋停車場。(後述)右:踏切警報機。正面は朝日新聞社・浜離宮朝日ホール。


ビルの谷間にある旧新橋停車場





汐留シオサイトのビル群に囲まれた中にレトロ調のひときは目立つ建物があります。旧新橋停車場跡の鉄道歴史展示室です。建物は1872年に日本最初の鉄道が開業したときの駅と同一の位置にあり当時を再現したものです。(現行の建築基準法により、当時とは若干異なる。)建物の下には当時のプラットホームの基礎が保存されています。(ところどころ、のぞける穴があります。)建物の裏側に回ると数メートルですが当時のプラットホームと線路が再現されています。資料室になっているということで中に入ってみましたが、まず見えるのは電気が消え、ロープで「立入禁止」にされただだっ広い空間。実はここ、この資料室ができたときには三國 清シェフプロデュースのレストラン「グランカフェ新橋ミクニ」があった場所です。残念ながら諸事情により営業を休止しているようです。展示室のパンフレットでもこの案内はシールが貼られて消されています。1階は主に遺構調査で発掘された新橋停車場に関する品物が展示されています。また、床の一部が透明になっていて地下にある基礎の遺構を見ることができます。2階は企画展示室で私が行った時は「銀座 駅前商店街第1号」と題して、鉄道開業時の銀座の町並みについての風刺画や写真などを展示していました。


展示室のスタンプ。手帳に押したので罫線が入っています。また、上の「来館記念」の字が切れてしまっています。悪しからず。


写真詳説
●1段目 左:昭和通りから見た旧新橋停車場展示室 右:展示室の案内パンフレット
●2段目 左:裏のホームと線路の再現模型 右:正面。階段の手前には基礎が見える穴が開いている。


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