戸塚大踏切の思い出
※この記事はYahoo!ブログから移行したものです。大船駅で東海道線の113系を撮影した後、戸塚駅へ向かいました。わざわざ戸塚駅へ行く理由は何かといえば、あの駅前の有名な大踏切が無くなるというのを知ったからです。戸塚は15年ほど前、私が住んでいた街でもあります。まだ小さかったので多くは覚えていませんが、あの大踏切でじーっと電車を待ったのは忘れたくても忘れることができません。
大踏切の廃止
私が千葉へと引っ越したあと、戸塚駅も大きく変わりました。横浜市営地下鉄が湘南台へ延伸し、JRでは湘南新宿ラインの快速や特急成田エクスプレスまでもが停車する一大拠点駅に変貌しました。(現在東海道線の「快速アクティー」のみが通過していますが、私的には停車しても良いのではと思っています。)このように列車本数が大幅に増加したことにより、ホームのすぐ北側(東京方)にある大踏切はラッシュ時は閉まりっ放しとなるため車両通行止めとなり、データイムでも開いたと思ったら20秒ほどで閉まってしまう有り様。この危険な状況は最近しばしばテレビや新聞で取り上げられるようになってしまいました。この状況を打開すべく横浜市が主体となって2008年度までに、駅前の区画整理とあわせ、自転車でも利用できる歩道橋と地下道路を建設し、踏切を廃止することが決定しました。▼参考
タウンニュース戸塚区版 「開かずの踏切」工事着工へ(リンク切れ)
カナロコローカルニュース(by神奈川新聞社) JR戸塚駅北側の「開かずの踏切」に地下トンネル(リンク切れ)
実際に大踏切を観察してみます。踏切の遮断機はかつてはワイヤーでしたが、現在は警報用の赤色灯が増設され(いわゆる「オーバーハング踏切」)遮断機も通常の棒になっています。いざ遮断機が開くと人もクルマも大急ぎで線路の対岸へと走ります。戸塚駅の北側の線路はカーブしており、きついカントがついていて踏切の路面がでこぼこしており、非常に歩きづらいです。20秒ほどで遮断機が閉まってしまうのでノロノロと渡っていると絶対踏切内に取り残されます。とにかく危険という一言です。
地下道路は踏切の少し北側にできるようです。既に支章する地下構造物の移設などが行われているようです。工事用地には「戸塚駅前地区中央土地区画整理事業」の看板が立てられています。この看板、よく見ると描かれている電車は東海道線の113系です。残念、地下道路の上を通ることなく113系は引退となってしまいましたね・・・。
思い出の歩道橋へ
大踏切からそのまま線路に沿って北へ進みます。この先には線路を跨ぐ歩行者専用の歩道橋があります。(「矢部人道跨線橋」というみたいです。)ここも思い出の場所のひとつ。小さいときはいつもここに電車を見に行っていました。言い換えれば、この歩道橋こそが私を鉄道へのめり込ませたのかもしれません。今回は曖昧な記憶を頼りにその歩道橋へ向かいました。階段を登ると柵の高さにびっくり。その下に辛うじてカメラを入れられる程度のわずかな隙間がありました。小さいときはここから電車を眺めていたわけです。やはり小さいときの世界と大人の世界では見え方がずいぶん違うんですね。走る車両たちも大きく変わってしまいました。私が小さいとき眺めていたころは来るのは湘南色やスカ色の113系ばかりでしたが、今は銀色のE217系とE231系という素人目には区別の付かないような画一的な車両だけになってしまいました。合間に通過する185系「踊り子」が当時を辛うじて思い出させてくれます。
戸塚の街
街並みはというと、駅の少し北側にあった「矢部団地」と呼ばれた住宅都市整備公団(現都市機構(UR))の古い団地が全て建替えられ、「プロムナード矢部」というカッコいい名前のマンションになっています。一方で商業施設は隣の東戸塚駅に巨大なショッピングモールが出来たこともありやや衰退気味という感じです。歩道橋からそのまま東側の住宅地を抜けると、柏尾川という少し大きめの側を跨ぐ橋(吉田大橋)へと出ます。柏尾川はこの近辺の丘陵に源流を持つ2級河川で、そのまま東海道線の線路に沿うように流れて(戸塚駅のホームの下も通る)途中別の川と合流して境川と名前を変えた後、江ノ島のそばで相模湾へと注ぎます。かつてはしばしば氾濫し「暴れ川」といわれていたようですが、河川改修により現在は降雨量50mm/h二対応しています。川に沿って桜並木があり春は桜のトンネルとなるそうです。
▼参考
戸塚区役所のホームページ:ようこそ戸塚区へ
▼参考
戸塚区役所のホームページ:ようこそ戸塚区へ
ちなみに昔住んでいたのはこの橋のそばです。街並みは当時とさして変わっていません。しかし、数年前に私が昔通っていた幼稚園が少子化の影響で閉園となってしまったそうです。幼稚園があった場所へ行って見ましたが、既に住宅に変わっていました。
街並みを適当に見た後は駅へと戻ります。この道のりも小さいときと比べるとずいぶん短く感じました。駅前の様子は当時のままです。丸井の地下にある改札口から構内に入ります。ここでまた113系の撮影をしました。このフイルムはまだ出来上がっていないのでしばらくお待ちください・・・。
写真詳説
1段目:大踏切の西側
2段目:大踏切の東側。標識には「6-9 16-21 車両通行止め」と書かれている。
3段目:大踏切北側の作業基地にある看板。地下道路の上を通る電車は113系だ。
4段目:歩道橋から東京方を望む。185系「踊り子」が通過。
5段目:同じ場所から大船方を望む。地上線上をE231系、高架線上をE217系が通過中。
6段目左:柏尾川を跨ぐ「吉田大橋」。
6段目右:柏尾川。
1段目:大踏切の西側
2段目:大踏切の東側。標識には「6-9 16-21 車両通行止め」と書かれている。
3段目:大踏切北側の作業基地にある看板。地下道路の上を通る電車は113系だ。
4段目:歩道橋から東京方を望む。185系「踊り子」が通過。
5段目:同じ場所から大船方を望む。地上線上をE231系、高架線上をE217系が通過中。
6段目左:柏尾川を跨ぐ「吉田大橋」。
6段目右:柏尾川。
久しぶりの長大作・・・。
(続く)

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