京葉線千葉貨物ターミナル駅と新港信号場/その1

2008年2月20日 カメラ:PENTAX K10D レンズ:smcPENTAX-DA18-55mmF3.5-5.6AL 焦点距離:35mm 露出モード:オート(シャッター速度:1/750秒 絞り:F5.6 感度:ISO-800)

東京総合車両センターの記事で「自宅のすぐそばを京葉線が走っている」と書きました。この京葉線はもともと貨物線として計画された路線で、2000(平成12)年から実際に総武線に代わる貨物列車の走行ルートとして利用されています。今回は3回に分けて京葉線にかつて存在した「千葉貨物ターミナル駅」とその跡地に作られた諸施設について採り上げていきたいと思います。

京葉工業地域の鉄道貨物輸送と千葉貨物ターミナル駅



千葉県の浦安市から富津市にかけての東京湾沿岸は昭和30年代に相次いで埋め立てが行われました。これは主として現在「京葉工業地域」と呼ばれている工業用地に使用することを前提にしたもので、国鉄(現JR東日本)京葉線や千葉県・国鉄(現JR貨物)が出資する京葉臨海鉄道など貨物専用線の建設が埋め立てと一体的に行われました。このうち、京葉線は当初東京駅ではなく、現在の臨海副都心の地下を経由して大井埠頭にある東海道貨物線の東京貨物ターミナル駅に接続する計画となっていました。(民営化で放棄された新木場~東京貨物ターミナル間は東京臨海高速鉄道りんかい線として再利用されている。)これに西船橋で接続する武蔵野線をあわせて「東京外環状線」を構成し、京葉工業地域と全国をダイレクトにつなぐという壮大な構想が描かれていたわけです。

JTrimで加工
千葉貨物ターミナル駅航空写真 ※クリックで拡大
(C)国土交通省 国土情報ウェブマッピングシステムカラー空中写真データ(昭和58年)に筆者が加筆

京葉線には複数の貨物駅が計画されており、最も埋め立て造成が早かった千葉市美浜区新港に1975(昭和50)年5月10日、「千葉貨物ターミナル駅」が開業します。千葉貨物ターミナル駅は前述の理由から東京方面・蘇我方面の両方向に進出可能な構造とされましたが、開業当時当駅から東京方面はまだ埋め立て造成が終わっていなかったため既存の路線との接続は蘇我駅で行うこととなりました。しかし、このルート上で用地買収が難航したためやむを得ず付近にある川崎製鉄(現JFEスチール)の専用線を借用し、蘇我駅の側線扱い(入換車両)という暫定的な形で開業を迎えることとなりました。




食品線と貨物駅の盛衰

参考:京葉臨海鉄道二十年史230・231ページ MSPaintで作成
千葉貨物ターミナル駅と食品線の配線 ※クリックで拡大

開業当時は車扱い列車とコンテナ列車が混在していたため、駅設備もその両方に対応できる構造となっています。また、駅周辺には千葉県が約99万m2に及ぶ広大な食品コンビナートの誘致を計画しており、千葉貨物ターミナル駅から食品線(食品北線:全長1.2km、食品南線:同1.3km)と称する2本の側線を建設し、そこから各工場へ線路を引き込むことで効率的な物資輸送ができるよう考慮されました。(計画ではさらに「新港線」「ふ頭線」の2線が建設されることとなっていたが結局未成線のまま終わった。)千葉貨物ターミナル駅は国鉄(民営化後はJR貨物)、食品線は市原方面に営業拠点を持つ京葉臨海鉄道がそれぞれ所有しており、管理は京葉臨海鉄道が一括して行っていました。2線の接続企業と作業キロ、取り扱い品目は以下のとおりです。

●接続企業・作業キロ
<食品北駅>
全国酪農業協同組合連合会:作業キロ0.3km
日清製粉(株):作業キロ0.2km

<食品南駅>
日清製粉(株):作業キロ0.5km
千葉共同サイロ(株):作業キロ0.2km
千葉くみあい飼料(株):作業キロ0.1km
明治飼糧(株):作業キロ0.1km
山一飼料(株):作業キロ0.2km

●主な発送品目
小麦、大豆、とうもろこし、コウリャン、小麦粉、麺、配合飼料、でん粉

●主な到着品目
小麦、米ぬか、魚粉、グルテンフィード、炭酸カルシウム、大豆かす、配合飼料、麦糖、油かす

食品線の取扱量は1979(昭和54)年に到着約2万トン、発送21万トンと最盛期を迎えました。しかし、その後は国鉄の貨物輸送合理化(ヤード系輸送の全廃)や国鉄の労使紛争による連日のダイヤ混乱(特に千葉県は国鉄千葉動力者労働組合(動労千葉)が過激な闘争を繰り広げた)によりトラック輸送への切替が急速に進み、駅周辺企業も激しく入れ替わるようになり、取扱量が激減。1989(平成元年)にはついに取扱貨物がなくなるという事態に陥りました。この結果を受けて周辺の企業と京葉臨海鉄道が協議した結果、食品線は1994(平成6)年1月20日に全線が廃止されました。
また、昭和40年代後半から50年代前半にかけて2回にわたって発生したオイルショックにより、千葉県の埋立地利用計画は工業主体から住宅主体へと大幅に変更され、千葉貨物ターミナル駅本体の貨物取扱量も予想を下回るものとなりました。しかも、1986(昭和61)年に京葉線は当駅から西船橋までと千葉みなと~蘇我間(本設線)が開業したものの、この区間では貨物列車が運行されず、さらに当駅から西船橋方面へ進出する線路はなぜか路盤のみが出来上がった状態で放置されており、構内もすべて非電化であったため総武線経由で蘇我駅に到着した貨物列車はわざわざディーゼル機関車に付け替えたうえでスイッチバックで千葉貨物ターミナル駅に出し入れする必要があるなど非常に効率の悪い運行形態をとらざるを得ませんでした。取扱貨物の減少はその後も続き、食品線の廃止以降は臨時の貨物列車のみの発着となり、1996(平成8年)3月17日にはついに営業休止となってしまいました。

1999年10月撮影 データ不明(プリント写真をスキャナで取り込み)
休止から3年が経過した1999(平成11)年10月の千葉貨物ターミナル駅

1999年10月撮影 データ不明(プリント写真をスキャナで取り込み)
蘇我寄りの京葉線本線との接続部。現在は首都圏から消滅した103系電車が通過。

私が千葉市に引っ越してきたのは1992(平成4年)のことです。まだ幼く現在のように本格的に鉄道に目覚めていなかった私ですが、線路の向こうから聞こえてくるガチャガチャという貨車の連結作業の音や夜間に貨物駅を照らす照明塔の存在ははっきりと覚えています。それが途絶えたのは記憶によれば1994年の冬頃。確かに資料上の廃止時期と一致しています。
写真はようやく地元ならば1人で行動できるようになった小学校6年生のとき陸橋から撮影した千葉貨物ターミナル駅です。線路は京葉線の本線寄りの1本を除いて全く利用されておらず、錆び付いたレールが雑草に埋まる文字通り荒れ放題となっていました。

次回はこの荒れ放題だった貨物駅の変貌の記録をお伝えする予定です。

▼参考
京葉臨海鉄道「二十年史」
京葉臨海鉄道「35年のあゆみ」
鉄道線路配置研究所 千葉
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