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羽田空港アクセス線建設工事2023①前史
公開日:2023年05月24日18:15

2013年にJR東日本は田町~東京貨物ターミナル間の休止貨物線を活用した羽田空港への新しいアクセス鉄道への参入を表明しました。それから10年が経過し、予定地ではいよいよ本格的な工事が始まろうとしています。今回は3回にわけてこの「羽田空港アクセス線(仮称)」についてこれまでの歴史や予定地の現状、今後の計画についてレポートします。1回目の今回は前史として羽田空港のこれまでの鉄道アクセスの歴史と、羽田空港アクセス線(仮称)の計画決定までの変遷について解説します。
羽田空港の歴史をざっくりと

天空橋駅前広場にある旧三町顕彰の碑。背後では羽田イノベーションシティの建設が進む。
羽田空港、正式名称東京国際空港(HND)は、1931(昭和6)年に東京飛行場として開港しました。この場所は江戸時代に開墾された鈴木新田と呼ばれる干潟で、滑走路に必要となる広大な平地が確保できることから目を付けられたものです。1940年代に入り太平洋戦争に突入すると、羽田空港は軍事基地として重要な機能を果たしました。そして1945年の敗戦後は日本の航空開発が禁止されるとともに、羽田空港は占領軍により接収されました。
この空港接収にあたり当時の施設が非常に狭小だったことから、占領軍は空港に隣接する羽田鈴木町・羽田穴守町・羽田江戸見町の住民を強制退去させ、空港の拡張用地に充てることとしました。退去命令から完了までに与えられた時間は当初わずか12時間でしたが、住民たちの決死の訴えにより48時間に延長されました。住民たちはほとんど準備もできずに住んでいた土地を追われることになりました。
こうして拡張された羽田空港は、1951(昭和26)年のサンフランシスコ平和条約が締結以降順次返還が進められ、1958(昭和33)年に完全に日本の元へ還ってきました。1回目の東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年に海外渡航が自由化されると、航空機需要は急増し羽田空港は瞬く間に発着容量不足に陥ってしまいました。1973(昭和58)年には千葉県に新設した成田空港(新東京国際空港→成田国際空港、NRT)に国際線を移転することで一旦解消しますが、国内線の便数増加によりすぐに飽和してしまいます。

第3ターミナルの展望デッキから見た現在の羽田空港。4本の滑走路を持ち、最短2分間隔で航空機が離着陸する超過密運航となっている。
発着便数の増加による事故の発生や近隣への騒音といった問題もあったことから、1980年代以降は東京湾を埋め立てて空港を拡張する沖合展開事業が開始されました。拡張予定地は長年に渡り都内で発生していた建設残土を投棄していた場所で、人間が立ち入ることすらままならない軟弱地盤だったことから、様々な技術を駆使して滑走路やビルが作れるよう改良が行われました。(これについては③の記事で詳しく解説します。)1990年代以降滑走路やターミナルビルがこれらの新しく造成された埋立地へ順次移転しました。
一方羽田空港の救済になるはずだった成田空港は、その強引な整備手法もあって新左翼も巻き込んだ苛烈な反対運動を引き起こし、2本目の滑走路の建設すらままならない状況が続きました。また、成田新幹線計画の頓挫により都心からは1時間以上も要するなどアクセス性が非常に悪かったことから、羽田空港の再国際化が模索されるようになりました。2000年代以降チャーター便という扱いで国際線の乗り入れが再開され、4本目の滑走路(D滑走路)と新ターミナルビル(第3ターミナル)が完成した2010(平成22)年以降は本格的に国際線の乗り入れが開始されました。
「モノレールvs京急」空港アクセス競争の歴史

天空橋駅近くに残された穴守稲荷の大鳥居。GHQによる接収に伴い、穴守稲荷神社は空港島外に強制移転させられることになったが、この大鳥居だけは撤去しようとするたびに事故が起きたため長らく空港内に残されていたという。
羽田空港西端を流れる海老取川の対岸には、空港開港前から京急穴守線が運行されていました。この路線は現在の空港島内にあった穴守稲荷神社への参拝客輸送を目的に建設されました。多摩川の対岸で先に開通していた京急大師線と同じ目的です。この京急穴守線は1913(大正2)年に海老取川を渡って空港島内への延伸を一旦実現しますが、前述の敗戦に伴う空港接収により再び海老取川手前での折り返しに戻ってしまいました。

東京モノレール浜松町駅。当初は新橋を起点とする計画だったが、用地が確保できず浜松町までに短縮された。世界貿易センタービル再開発に合わせて再度延伸が検討されたが、羽田空港アクセス線の具体化に伴い中止された。
1964年の東京オリンピックに際しては、この京急穴守線の再延伸ではなく浜松町から空港ターミナルビルを直結する東京モノレールが新設されました。開業当初の東京モノレールは途中駅が一切なく、空港利用者の輸送に特化していましたが、同時期に埋め立てが進んでいた大井ふ頭の物流施設への通勤などの新たな需要に応えるべく途中駅が増設されていき、現在は空港アクセスと通勤の利用が半々という状況となっています。
1990年代以降は沖合展開事業によるターミナルビルの移転・新設に合わせ、空港島内の線路移設や駅の追加が繰り返されています。また、2002(平成14)年にはJR東日本が東京モノレールの筆頭株主となり、開業時のような浜松町~空港間ノンストップの快速列車新設といったテコ入れが行われました。


上:京急蒲田駅を発車して羽田空港へ向かう電車。羽田空港の拡張に備え、2012年に重層高架化された。
下:横浜方面から運行されているエアポート急行。京急蒲田でスイッチバックする。
一方、京急は1963(昭和38)年に路線名を「空港線」に改称したものの、空港島内への再乗り入れは沖合展開事業の完成までできず、苦戦を強いられることとなりました。1993(平成5)年に現在の天空橋駅までの乗り入れが開始、1998(平成10)年には第1・第2ビルまで延伸し、ようやくターミナルビルまでの直接乗り入れが実現しました。この時点で現在の第3ターミナルの建設も決まっていたことから、将来駅を追加できるよう準備を行っており、2010年に東京モノレールと同時に新駅が開業しています。
空港島内への延伸完了後は、増発のボトルネックとなっていた本線との分岐点である京急蒲田駅の改良も開始されました、2012(平成24)年には駅構内の高架化・複線化が完成し、品川方面からは快特が10分間隔、横浜方面からは急行が20分間隔へ大幅に増発されました。東京モノレールと激しい競争にあるため、快特の一部(エアポート快特)は京急蒲田駅を通過しています。京急蒲田駅の高架化にかかる費用は大田区が一部負担していたことから、2010年のエアポート快特新設時は「蒲田飛ばし」と呼ばれ物議を醸しました。
羽田空港の下を通るもう1つの鉄道
この羽田空港の地下にもう1つ鉄道が通っていることは、当サイトの読者の皆様なら間違いなくご存知かとは思いますが、一応説明しておきます。

羽田空港と東海道貨物線(大汐線・羽田トンネル)の位置関係
※国土地理院Webサイト「地理院地図」で公開されている「淡色地図」に加筆。
※クリック/タップで拡大
1960年代以降、東京港の拡張計画の一環として前述の大井ふ頭の造成が進められました。この大井ふ頭には陸揚げされた貨物を鉄道に載せ替えるための基地(東京貨物ターミナル駅)を設け、そこから前後に海底トンネルを伸ばして神奈川県・千葉県双方の工業地帯を結ぶ京葉線の建設が計画されました。
また、当時東海道線と横須賀線は東京~大船間で複線の線路を共有していましたが、沿線での人口増加に伴い混雑が極限状態に達していました。そこで、品川~鶴見間で東海道線とは別にあった貨物線(通称「品鶴線」)を横須賀線用に転用して東海道線・横須賀線の線路を分離することが計画されました。これに伴い品鶴線が使用できなくなる貨物列車の受け皿として、現在汐留シオサイトになっている場所に存在した汐留貨物駅と東京貨物ターミナル駅を結ぶ分岐線(通称「大汐線」)が合わせて建設されることになりました。京葉線として建設された区間を含む川崎貨物駅~東京貨物ターミナル駅~汐留貨物駅間は、東海道線の支線(東海道貨物線)という扱いで1973(昭和48)年に先行開業しました。
なお、汐留貨物駅は国鉄の貨物列車のシステム改革や、土地売却による債務償還のため1986(昭和61)年に廃止されました。浜松町駅までの線路はカートレイン※の運行に利用されることもありましたが、この列車も1997(平成9)年に廃止となったため、大汐線は現在全線が休止中となっています。
▼脚注
※カートレイン:寝台車と貨車を同じ列車に連結し、乗客と自動車を同時に輸送する列車。浜松町駅横の旧汐留貨物駅に通じていた貨物線を利用し、1991年より北海道との間で運行された。乗用車の大型化に伴い積載できない車種が増加し利用率が低迷したこと、浜松町の発着場が都営地下鉄大江戸線の工事に伴い使用できなくなったため運行を終了した。


左:東京貨物ターミナル駅南端にある羽田トンネル入口。羽田空港横の地下を通り川崎方面へ通じている。坑口の上に建つのは東京で消費される野菜や果物の中継拠点である大田市場。
右:整備場駅近くにある羽田トンネルの羽田第一立坑。大田市場南にある東海ふ頭公園にも同じものがある。
川崎貨物駅~東京貨物ターミナル間の海底トンネル(羽田トンネル)は羽田空港西端の地下を通過しており、東京モノレール整備場駅近くには資材搬入用の立坑が現在も残されています。上記の通りカートレインの運行が終了したことから、現在この区間を走行するのは貨物列車のみとなっています。そのため、ツアー等の企画で臨時列車が運行されない限り我々一般人がこのトンネル内を列車に乗って通り抜けるのは不可能です。


左:東京貨物ターミナル駅東端にあるりんかい線八潮車両基地。
右:りんかい線大崎行き電車から見た本線と入出庫線の分岐点。京葉線のトンネルの途中から大崎方面へ向かう線路を追加したため、ポイントの分岐側を走行する。
一方、東京貨物ターミナル駅から千葉方面の京葉線は、オイルショックによる東京湾岸の土地利用計画変化や国鉄の深刻な経営悪化により建設が一時中断することとなりました。その後新木場~蘇我間は用途を旅客線に変更したうえで東京駅までの新線を追加し、1990(平成2)年に開業しています。また、東京貨物ターミナル~新木場間は国鉄分割民営化時にJR東日本が継承せず、東京都とJR東日本が共同出資した東京臨海高速鉄道が引き取り、大崎までの新線を追加したうえでりんかい線として2002(平成14)年に開業しました。りんかい線の車両基地は東京貨物ターミナル駅の東側に建設されており、入出庫線は京葉線上り線(蘇我→川崎)として用意されていたトンネルを流用しています。東京テレポート~天王洲アイル間にある入出庫線の分岐部分ではポイントの分岐側を走行しますが、これも完成していた京葉線のトンネルを壊して大崎方面へ向かう線路を追加したことによるものです。
このあたりの経緯をもっと知りたい方は、以前制作した建設史から読み解く首都圏の地下鉄道「京葉線新東京トンネル」「りんかい線東臨トンネル」をご覧ください。
3方向の新線で空港へダイレクトアクセス
りんかい線の全線開通を間近に控えた2000(平成12)年に、国の政策機関である運輸政策審議会から今後の首都圏の鉄道整備に関する答申(第18号)が発表されました。この第18号答申では、上記の汐留~東京貨物ターミナル~川崎を結ぶ東海道貨物線やりんかい線を羽田空港アクセス鉄道の一部として整備することを検討するべきであるという提言が盛り込まれました。この時点ではどの区間を流用するのか、あるいは新規に建設するのかについては定まっておらず、モノレール整備場駅付近のトンネル途中に新駅(羽田空港口)を設ける案も存在しました。
しかし、前述の通り2002年にJR東日本が東京モノレールを傘下に収めたこともあり、東海道貨物線やりんかい線の羽田空港乗り入れ構想は一時ストップすることとなりました。この間民主党への政権交代もあり、政府から大井ふ頭に車両基地がある東海道新幹線を羽田空港まで伸ばしてはどうかといった意見が出ることもありましたが、具体化することはありませんでした。

交通政策審議会第198号答申で示された羽田空港アクセス鉄道強化計画
※国土地理院Webサイト「地理院地図」で公開されている「淡色地図」に加筆。
※クリック/タップで拡大
こうして一旦潰えたように見えたJR東日本の羽田空港アクセス新線計画ですが、水面下では検討が続けられていました。2013(平成25)年10月にJR東日本から発表された「グループ経営構想
運輸政策審議会の後継機関である交通政策審議会でも、近年のインバウンド需要急増を受けた羽田空港への新しいアクセス鉄道の必要性について情報共有が行われました。そして2016(平成28)年4月に発表された第198号答申「東京圏における今後の都市鉄道のあり方について」では
①羽田空港アクセス線(大汐線・りんかい線を活用した新線)の整備
②京急羽田空港第1・第2ターミナル駅への引上線新設(折り返し機能強化による増発)
③新空港線(東急多摩川線蒲田駅~京急空港線大鳥居駅の接続新線、通称「蒲蒲線」)の整備
の3つの羽田空港アクセス鉄道増強計画が盛り込まれました。
答申で提言された羽田空港アクセス線のルートは田町駅付近から東京貨物ターミナル付近まで大汐線を活用する点(東山手ルート)は以前と同様ですが、その先はより空港ターミナルビルに近づけるため完全な新線として建設することとされました。また、りんかい線については従来の新木場方面(臨海ルート)に加えて、大崎方面からも途中から分岐して羽田空港へ向かうルート(西山手ルート)が追加されました。実現すれば上野東京ラインや湘南新宿ラインだけでなく、新宿経由で中央線方面、さらに栗橋駅の特急用連絡線経由で東武日光線方面へも直通可能であることが謳われるなど壮大な計画となっています。
以後JR東日本では、この羽田空港アクセス線(仮称)の本格着工に向け、事業免許の取得や環境アセスメントといった法的手続き、支障となる物件の撤去といった準備作業を進めています。次回は今年に入って調査した大汐線活用区間での準備作業の様子についてお伝えします。
▼参考
国土交通省 関東地方整備局 東京空港整備事務所 | 事業の概要
国土交通省 関東地方整備局 東京空港整備事務所 | 羽田空港の情報|羽田空港の歴史
運輸政策審議会答申第18号 東京圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について - 国土交通省
審議会・委員会等:東京圏における今後の都市鉄道のあり方について - 国土交通省
グループ経営構想Ⅴ 「今後の重点取組み事項」 について - JR東日本ニュースリリース(PDF/1.24MB)
京葉線羽田トンネル工事誌 - 日本鉄道建設公団1973年
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