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小田急の新しい信号・保安装置「D-ATS-P」
公開日:2011年04月05日15:35

現在、首都圏の民鉄各社では2006(平成18)年に改正された省令に対応するため、保安装置の更新が進められています。今回はその中から小田急電鉄の新しいATSである「D-ATS-P」について、鉄道関係の専門雑誌と現地調査を元に解説したいと思います。
■省令の改正に伴う信号システムの改良
2005(平成17)年4月25日に発生したJR西日本福知山線の脱線事故は運転士・乗客の計107名が亡くなるという、日本の鉄道史上屈指の大惨事となりました。この事故の主たる原因は、急カーブの入口で十分な減速がなされない状態で列車が走行し、遠心力で列車が横転・脱線したというものでした。事故後、国土交通省では同年3月に発生した土佐くろしお鉄道宿毛駅での衝突事故(行き止まりの駅を暴走した列車が車止めに激突した事故)への対策も兼ねて鉄道の安全基準を定める省令である「鉄道の技術上の基準を定める省令」を改正しました。この改正では
1、曲線・分岐・行き止まりなど重大事故の恐れがある箇所で速度を制限する装置(ATS/ATC)
2、運転士の健康に異常が生じた場合に列車を自動的に停止させる装置(EB・デッドマン装置)
3、運転操作の状況を記録する装置
の3つの装置の設置が義務付けられました。
これを受けて、ATS(自動列車停止装置)を使用していた鉄道各社では応急的な対策として自社線内にある急カーブ区間に既存のシステムを利用した速度照査装置を設置しました。しかし、これらのシステムは首都圏で必須となる過密運行での常用を前提にしていないなど不十分ものも多く、安全性重視の観点から現行の運転時分・本数を維持できなくなる事態も発生しています。このため、これらの鉄道各社ではダイヤ維持を目的にATSの更新やATC化を行うケースも出てきました。省令対応に伴う信号保安装置の更新の例を以下に示します。
●省令対応に伴う保安装置更新の例
京急・都営浅草線・京成・北総:1号型ATSをC-ATSに更新(計画自体は省令改正前からあり)
小田急:OM-ATSをD-ATS-Pに更新
京王:ATSをATCに変更(小田急と同時に取材済み。近日記事作成予定)
東武東上線:TSP(東武ATS)をATCに変更
小田急のD-ATS-P化もこの省令対応に伴う保安装置の更新の1つとなっています。
▼参考
鉄道に関する技術上の基準を定める省令等の一部を改正する省令(平成18年国土交通省令第13号)の公布について - 国土交通省
▼関連記事
京浜急行C-ATSの仕組み(2010年4月15日作成)
■従来のATS(OM-ATS)の仕組み
次に、小田急の新しいATSである「D-ATS-P」について説明する前に、比較のため現行のATSである「OM-ATS」について解説することとします。

従来のATS(OM-ATS)の動作イメージ ※クリックで拡大
OM-ATSは信号機の手前に2個(標準)の変周式地上子※1を置いています。信号機に対する速度制限の情報はこの地上子から伝達され、もし信号機の制限速度を超えて走行しようとした場合は自動的にブレーキがかかり制限速度まで強制的に減速します(減速(YG):75km/h、注意(Y):45km/h、警戒(YY):25km/h)。停止信号の場合は、信号機手前に地上子があるため信号機の手前で確実に停車することができます。一度地上子から受信した情報は現示がアップして次の地上子を踏むまでは記憶される仕組みになっており、過度の再加速による速度超過も防止するシステムとなっています。また、駅間の閉塞信号機では信号故障時の長時間の機外停車を防止するため、一定時間経過後に停止信号を無視して走行できる規定(無閉塞運転)がありますが、OM-ATSでは無閉塞運転中も18km/hで速度照査が行われるシステムとなっており(規定上の制限速度は15km/h)、無閉塞運転中の誤操作による暴走も確実に防いでいます。
さらにOM-ATSではこれとは別に、2個の変周式地上子を1組とした速度照査も可能となっています。これはJRのATS-Sx系のATSと同じシステムで、2個の地上子の間を決められた秒数以下で通過した場合、制限速度をオーバーしていると判断してブレーキをかけるものです。照査速度は地上子の間隔を変えることにより変化させることが可能で、駅構内や行き止まりなど厳密な速度管理が要求される箇所に多く設置されています。
▼脚注
※1 変周式地上子:発信する電波の周波数を変えることにより伝達する情報を変える方式(アナログ伝送)。伝達できる情報量が少ないのが欠点。


左:小田急多摩センター駅構内のOM-ATSの地上子(大型)
右:小田急線の終点新宿駅の車止め手前にあるOM-ATS(線路上に並ぶ白い箱)
※クリックで拡大
このようにOM-ATSは単純な構成でありながら確実な速度管理が可能ですが、一方で
1、信号機の現示がアップしても地上子を踏んで情報が更新されるまで再加速できない。
2、地上子を用いた速度照査は安全上最も減速性能が悪い車両に合わせて設置されるため、車両性能が向上してもスピードアップができない。
3、進行信号時に速度照査が一切なく、路線の最高速度を超過する恐れがある。
といった欠点があります。特に、2に関しては冒頭で触れた危険箇所への速度照査設置義務化によりダイヤ構成に大きな影響を及ぼしかねない要素となっています。
■新しいD-ATS-Pの仕組み
OM-ATSに代わる新しいATSであるD-ATS-P※2では改正された省令に対応することを主眼に、情報伝達の方法をこれまでとは異なるデジタル伝送に変更し、各車両の性能に合わせたパターン制御を行う方式としています。D-ATS-Pの機能は以下のとおりです。
●信号機に対する速度制御(基本機能)
出発・場内・閉塞・入換・誘導の各信号機に対する速度制御
●改正省令(第57条)に対応する機能(追加基本機能)
制限速度(曲線・分岐・勾配・終端・臨時など)の超過防止
車庫線内の速度制御
OM-ATSとD-ATS-Pの自動切替
●事業者独自の機能(拡張機能)
異常時(ホーム非常ボタン・踏切支障・横取り装置(保守用ポイント)外し忘れなど)の列車停止機能
乗降扉誤開扉防止
踏切閉鎖時間の最適化(列車選別装置)
OM-ATSでは地上~車上間の情報伝送はすべて地上子経由で行っていましたが、D-ATS-Pでは地上子(トランスポンダ※3)とレール(軌道回路)を併用する方式としています。(このため「ATS-P」とはついているものの、JRのATS-P(こちらはすべての情報を地上子経由で伝達する)とは全く異なるシステムとなっている。)地上子にはパターン制御に必要な閉塞区間長(2閉塞先まで)、勾配の数値などが格納されており、送信内容は基本的に固定されています。これによりJR九州・北海道で導入が予定されているATS-Dxなどとは異なり、高価かつ管理が煩雑な車上データベースの搭載が不要となっています。一方、レールからは信号機の現示状況、踏切やホームの支障に関する情報を常時送信しており、OM-ATSとは異なり信号機の現示が変化した場合は即座に車両側の情報も更新されるため、素早い再加速が可能となります。なお、制御パターンは車両性能に応じて計算される方式となっており、減速性能が異なる異車種を連結した場合は当然ながら減速性能が悪い車両にあわせるようになっています。
▼脚注
※2 D-ATS-P:DはDigital、PはPatternの頭文字をそれぞれとったもの。
※3 トランスポンダ式地上子:電波のON(1)とOFF(0)を組み合わせた「電文」により情報を伝達する方式(デジタル伝送)。1回で大量の情報を伝達することができる。

新しいATS(D-ATS-P)の動作イメージ ※クリックで拡大
信号機に対するD-ATS-Pの動作は
1、進行現示の場合はその区間の最高速度に対する速度照査が行われる。
2、減速以下の現示の場合は信号機手前までに制限速度まで減速するパターンを作成し、超過した場合は自動でブレーキをかけ減速させる。
3、無閉塞運転時はOM-ATSと同様18km/hの速度照査が行われる。
となっており、線路条件と車両性能に合わせた安全かつ最適な制御が行われるシステムとなっています。
このD-ATS-Pは2011年度中に多摩線での使用開始が計画されています。試作品でのテストは2006年末に行われており、現在はそこ発見された各種不具合を解消した量産品を線路・車両の双方に整備する工事が進められています。

一般的な白色のD-ATS-P地上子(手前)とホーム両端にある緑色の地上子。ともに無電源。新百合ヶ丘駅構内にて
今回取材した2011年1月15日時点では多摩線内の線路側の整備は大方終わっていたようで、信号機付近を中心に地上子が点々と設置されているのが確認できました。地上子の形状はJR東日本で使用されているATS-Pと同一ですが、送信電文が固定されていることからほとんどがケーブル非接続の無電源地上子となっています。(ただし、OM-ATSとの接点となる新百合ヶ丘駅構内にはD-ATS-Pへの自動切替に使用すると思しき有電源地上子が数個見られた。)また、小田急のD-ATS-Pで特徴的なのは駅ホームの両端にある緑色の無電源地上子です。今回参考にした文献には地上子の種別などは特に記述はありませんでしたが、D-ATS-Pには乗降扉の誤開扉防止機能が内蔵されていることから、緑色の地上子は駅構内であるか否かを区別するために設置されているものと推測しています。



左:先頭部床下に搭載されたD-ATS-Pの受電器。奥にはOM-ATSの車上子もある。(元の画像)
中:第1台車後方の床下に搭載されたD-ATS-Pの車上子。(右側の板状の物体)
右:同じく床下に搭載されたD-ATS-Pの機器箱
※クリックで拡大
車両側の改造も急ピッチで進められています。D-ATS-Pでは地上子・レール双方から情報を送信しているため、車両側にもこれに対応して2種類の受信機が搭載されています。レールからの信号を受信する受電器は運転席直下に設置されておりATCの受電器と同じ形状となっています。(東京メトロ千代田線に乗り入れる4000形・60000形「MSE」、東京メトロの各車両は既設のCS-ATC用受電器で兼用。)一方、地上子(トランスポンダ)から信号を受信する車上子はOM-ATSが運転席直下にあったのに対し、D-ATS-Pでは先頭台車の直後と位置が異なっています。(地上子はこれを見越した配置となっている。)D-ATS-Pの機器箱は従来のOM-ATSの機能を内蔵しており、両先頭車の床下にOM-ATSと代替する形で設置されています。
一方、運転席は正面に向かって左側にD-ATS-Pのモニタが追加された以外は大きな変化はありません。D-ATS-Pのモニタは6種類の文字と3つの赤色LEDで動作状況を表示する非常に簡素なものとなっています。表示内容は文字の方が上から「D-ATS-P」「TASC運転」「TASC制御中」(この2つは後述)「踏切防護」「パターン接近」「P非設」、LEDの方が左から「無信号」「駅防護」「P地上子」となっています。
■ホームドア対応も考慮

小田急多摩センター駅構内の仮設地上子撤去跡(矢印の先の金具)。(元の画像)
小田急D-ATS-Pにおいてもう1つ特筆すべき点はTASC(定位置停止装置)への対応が準備されていることです。これは将来のホームドア(可動式ホーム柵)の導入をにらんだもので、多摩線内ではすでに実用化に向けた機能検証が開始されています。このTASC導入に関しては小田急電鉄の公式ホームページ内で言及があるほか、先に示した写真のとおり運転台のモニタに「TASC運転」といった表示があることから知ることができます。1月の取材時もTASCの試験は続けられていたようで、一例として小田急多摩センター駅構内の線路には試験用に仮設した地上子を取り外した跡がいくつか確認できました。
■今後の整備計画
この小田急D-ATS-Pは2011年度中に小田急多摩線(新百合ヶ丘~唐木田間)で使用開始予定となっており、その後は順次小田急電鉄全線へ導入が進められる計画となっています。多摩線の地上設備や車両の改造はほぼ終了しており、今後は動作試験や本格導入に必要となる社員教育、各種運転規則の改定などが進められることとなっています。
▼参考
鈴木・山田,新列車制御システム(D-ATS-P)の概要と今後の計画,R&M2010年3月号17~21ページ
安全報告書2010 事故の未然・再発防止と発生後の対応強化|安全対策の強化|鉄道事業|事業案内|小田急電鉄
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