坑口~馬喰町駅入口 - 総武・東京トンネル(3)

最終更新日:2020年5月6日
総武・東京トンネル~大深度地下鉄道のパイオニア~(クリックすると目次を表示します)
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坑口~馬喰町駅入口のルート

総武トンネル坑口~馬喰町駅入口のトンネル位置図
総武トンネル坑口~馬喰町駅入口のトンネル位置図

 錦糸町駅から盛土高架を走ってきた総武快速線は両国駅の手前にある「亀沢架道橋」(清澄通り)を渡ると33.4‰の急勾配で一気に下り、江戸東京博物館(旧両国貨物駅)脇でトンネルに入る。上り坂となる下り列車の場合、この区間はフルノッチで力行していても速度が低下する。地下に入ると半径500m前後でカーブしながら隅田川をくぐり、そこから先は民有地の下を斜めに横断する。終盤は半径400mでカーブしながら神田川に架かる浅草橋の下をかすめ、江戸通りの下へ入り馬喰町駅へ到達する。主に交差する重要構造物としては総武緩行線隅田川橋梁、都営地下鉄浅草線、電電公社(現NTT)洞道などがある。この区間はトンネルの構造別に4つの構造物に分かれている。

U字型擁壁(地上~地下擦り付け部分):3km580m付近~3km320m(L≒260m)

江戸東京博物館2階のテラスから眺めた総武トンネル入口。
江戸東京博物館2階のテラスから眺めた総武トンネル入口。2010年8月14日作成

 トンネル手前の地上~地下の擦り付け区間の掘割については、工事誌で言及がなく詳細は不明である。名称も記載されていないため、ここでは便宜的に「U字型擁壁」と称することとする。擁壁両側のコンクリート壁は地表面よりかなり高くなっているが、これは隅田川・荒川の堤防決壊や東京湾で高潮が発生した際、その氾濫水がトンネルに流入するのを防止する目的で設置されていることが国の防災資料などにより明らかとなっている。この防水壁は地盤が低い隅田川東側の地下鉄トンネル坑口において国や東京都が設置を義務付けているものであるが、総武トンネルは建設が古いことから対応する水位は海抜+3.1mまでとされており、他の地下鉄と比べるとやや低い。
 トンネル坑口の位置は上下線で異なり、下り線の方が若干トンネルが長い。坑口周辺は両国貨物駅廃止後、東京の歴史について調査・研究をする江戸東京博物館が建設された。2階のテラスから1階の駐車場へ下りる階段の途中から総武トンネルの坑口周辺を見ることができる。トンネル坑口直前がJR東日本の東京支社と千葉支社の管轄境界となっている。

▼参考
東京ゼロメートル地帯における地下鉄道開口部浸水対策の概要(国土交通省河川局ゼロメートル地帯の高潮対策検討会)

両国トンネル:3km320m74~3km140m74(L=180m00)

●概説
 両国駅列車線ホーム脇の坑口から両国駅旧駅舎(現江戸NOREN)脇までの180mの区間は「両国トンネル」という。この付近は総武快速線建設時に廃止した両国貨物駅や道路の敷地内であることから、地表を切り開いてトンネルを構築する開削工法により建設されている。線形はほぼ直線でトンネル自体は比較的浅いが、近隣にある隅田川の影響を受けて地下水位が高く地盤が軟弱であったため、トンネル両側に鋼矢板を使用した土留め壁を打ち込んでいる。
 坑口の真上には馬喰町駅までの上り線トンネルに空気を送り込む送風機を収めた「両国換気所」が設けられている。下り線は坑口に近いことから吸い上げ用の送風機は設置せず、坑口からの自然排気となっている。

●現地写真
両国駅周辺航空写真(1960年代) 両国駅周辺航空写真(2010年代)
両国駅周辺の建設当時(1960年代)と現在の航空写真比較。両国貨物駅跡地に江戸東京博物館と両国国技館が建設された。
国土地理院Webサイト地理院地図より抜粋


 総武快速線建設時に廃止された両国貨物駅跡地は、その後再開発が行われ1980年代~90年代にかけて両国国技館と江戸東京博物館が建設された。また、快速線開業後もATC非搭載車両の発着のため残されていた両国駅列車線ホームについても、徐々に利用回数が減少し、2010年に最後の定期列車だった房総方面への新聞輸送列車が廃止されている。現在は千葉方面に向かうサイクリスト向けの臨時列車“B.B.BASE(BOSO BICYCLE BASE)”などごく一部の臨時列車が使うだけとなっている。

正面のルーバーが付いた建物がトンネル坑口上部の両国換気所。左奥が江戸東京博物館。 両国換気所近くにある総武トンネルの消火用水連結送水口。
左(1):正面のルーバーが付いた建物がトンネル坑口上部の両国換気所。左奥が江戸東京博物館。
右(2):両国換気所近くにある総武トンネルの消火用水連結送水口。


 江戸東京博物館オープンに伴い、両国トンネル上部は両国駅西口と博物館を結ぶアクセス道路となった。また、建設当時はトンネルの外側にあった両国換気所についても再開発の妨げとならないようトンネル真上に移設されている。アクセス道路脇には総武トンネル内で火災が発生した際、消火用水を送るための連結送水口が設置されている。送水口のバルブの上には、送水可能範囲を示した図が掲出されている。

隅田川トンネル:3km140m74~2km796m20(L=344m54)

工期:1965(昭和40)年11月~1969(昭和44)年7月

●概説
 両国駅西端から、隅田川右岸までの345mの区間は「隅田川トンネル」という。線形は全体が半径500m程度のカーブとなっており、隅田川左岸で勾配が33.4‰から22.5‰に変化する。地上には隅田川やその護岸に加え、首都高速6号向島線と総武緩行線隅田川橋梁という重要構造物が交差している。隅田川の川幅は約150mであるが、トンネルはそれに対して45度の角度で交差しているため、河底区間の長さは約220mとなっている。
 河床下のでトンネル建設となることから、この区間の工法については以下の5つの案が検討された。

隅田川トンネルで検討された各種河底トンネル工法
隅田川トンネルで検討された各種河底トンネル工法

A案:締切開削工法
川の中に仮設の堤防を造って水の浸入を防ぎ、その中を掘削してトンネルを埋め込む。
B案:沈埋工法
川底を掘り下げ、そこに陸上で作ったトンネルを沈めて杭を打ち地盤に固定する。
C案:締切築島ケーソン工法
川の中に仮設の島を造ってそこに陸上で造ったトンネルを置き、下部を掘り下げて埋め込む。
D案:フローティング(鋼殻)ケーソン工法
C案と似ているが仮設の島は無く、トンネル本体に水を入れ川底まで沈め、下部を掘り下げて埋め込む。
E案:凍結併用シールド工法
地盤を液体窒素などで凍らせ、その中をシールド工法で掘り進む。

また、施工上の制約としては以下の3点があった。
1:水面下20mに及ぶ軟弱粘土層の分布
2:総武緩行線隅田川橋梁への影響を与えないこと
3:船舶が1日あたり400隻通過するため常時川幅の2/3を解放すること

これらの条件を勘案した結果、A案は粘土層の掘削が不可能、B・D・E案は国内での事例が無く実現性への疑問や技術開発にかかる時間が問題視された。C案の締切築島ケーソン工法は同じく隅田川と交差する都営浅草線、営団東西線で実績があるなど、実現性が高いことからこの工法で進めていくこととされた。

隅田川トンネルのケーソン分割図
隅田川トンネルのケーソン分割図
国土地理院Webサイト地理院地図提供の航空写真に加筆


 ケーソン工法とは、陸上で製作したトンネル筐体の下部を掘削し、予定位置まで自重によりトンネルを沈下させていく工法である。トンネル下部の掘削作業を行う空間を作業室といい、地下水が多い場所では湧水が掘削作業の妨げとなるため作業室内部の気圧を上げ(圧気工法)、地下水の流入を阻止する。このように圧気工法を併用するケーソン工法を「ニューマチックケーソン工法(潜函工法)」と呼ぶ。
 隅田川トンネルでケーソン工法を採用したのは右岸(東京寄り)から左岸陸上(両国寄り)までで、全体を9つに分割している。左岸の陸上部分にもケーソン工法を採用したのは、両国トンネルの項目でも説明したとおりこの付近は川の影響を受け多量の出水の恐れがあったためである。ケーソンの全長は概ね20~40mの長さとなっており、水圧や浮力に対抗するため壁の厚さは通常のトンネルより厚くなっている。また、一番東京寄りのNo.1ケーソンは次に説明する柳橋トンネルのシールドマシン発進立坑を兼用するため、L字型の特殊な形状になっている。ケーソンの埋め込みは5回に分けて行われた。ケーソン沈設の手順を以下の図に示す。

▼脚注
※河川の上流から下流に向かって見たときの右側を「右岸」、左側を「左岸」という。


ケーソン沈設作業の手順
ケーソン沈設作業の手順

①鋼矢板打ち込み
ケーソン沈設予定位置の外側に鋼矢板を2列ずつ打ち込む。
②築島作業
鋼矢板で仕切った内側に土を盛り、島を形成する。
③ケーソン製作
できあがった島の上でトンネル筐体となるケーソンを製作する。ケーソンの下部は自重で地盤に食い込むよう鋭くなっており、下部の作業室に出入りできるよう筐体を貫通してシャフトが設けられている。このシャフトは圧気されている作業室内外を区切る隔壁も兼用している。
④ケーソン沈設
ケーソン下部の作業室内を掘削し、ケーソンを予定位置まで沈下させていく。地下水の湧出を抑えるため、作業室内の気圧を上げる。
⑤作業室充填・カバーコンクリート設置
予定位置まで沈下が終わったら作業室内をコンクリートで充填する。また、ケーソン天版には川底の浚渫作業時にケーソンを傷つけないよう厚さ20cmのカバーコンクリートを設置する。いずれも浮力に対するカウンターウェイトも兼用する。
⑥埋め戻し・完成
ケーソン上部を埋め戻し、島を撤去して完成。

 トンネルに近接する総武緩行線の橋梁は、沈下防止のため橋脚を囲むように薬液注入を行い、工事期間中は傾斜計を取り付けて変形が発生していないか観測を実施した。また、川幅が狭まるため上流・下流の橋に信号機を設置し、操縦者に注意喚起を実施した。

●現地写真
両国駅駅舎の脇から隅田川方面を見る
両国駅駅舎の脇から隅田川方面を見る

 隅田川トンネルは両国駅前ロータリーの脇から始まる。道路を越えると一瞬民有地の下を通る。両国パールホテル(左の「昭和天ぷら粉」の広告があるビル)とライオン東京本店(右の「ソフラン」の広告があるビル)間の駐車場の下だ。

総武緩行線隅田川橋梁とE231系電車。トンネルは手前から奥に向かって河底を進んでいる。
総武緩行線隅田川橋梁とE231系電車。トンネルは手前から奥に向かって河底を進んでいる。

 隅田川左岸の水上バス乗り場付近から東京方面を見る。隅田川トンネルは、総武緩行線が走るアーチ橋の下を手前から奥に向かってカーブしながら通過している。隅田川両岸には、トンネル建設当時には存在しなかった親水空間(隅田川テラス)が整備されており、河口近くから浅草の先まで川沿いを歩けるようになっている。工事誌によると、トンネルと河底の間の土被りは1.4~5mとかなり薄く、護岸堤防は地下のトンネルに荷重がかからないような構造で作り直したということである。その後設置されたテラスに関しては同様の構造になっているのだろうか?

左岸から東京方面を見る。トンネルは正面のガラス張りのビルの下に向かって進んでおり、手前の護岸に埋設物表示がある(黄色で丸く囲んだ部分)。 護岸に埋め込まれているトンネル河底横過標識
左(1):左岸から東京方面を見る。トンネルは正面のガラス張りのビルの下に向かって進んでおり、手前の護岸に埋設物表示がある(黄色で丸く囲んだ部分)。
右(2):護岸に埋め込まれているトンネル河底横過標識


 やや下流に移動して東京方面を見たところ。隅田川トンネルは正面に見える青いガラス張りのビルの下へ向かって進んでいる。ビル手前の護岸にはトンネルの通過位置・深さなどが書かれた金属製のプレートが埋め込まれている。右の写真は対岸に移動してそのプレートを近くで見たものである。同様のプレートは両岸の護岸に埋め込まれているが、左岸のものは腐食が進んでおり文字の判読が困難になりつつある。柳橋トンネルの発進立坑となったNo.1ケーソンは開口部が完全に埋められており、現在その痕跡を見出すのは不可能である。

柳橋トンネル:2km796m20~2km342m18(L=454m12)

工期:1969(昭和44)年7月~1971(昭和46)年7月

●概説
 隅田川西岸から馬喰町駅までは「柳橋トンネル」といい、単線シールドトンネル2本で建設されている。線形は馬喰町駅直前に半径400mのカーブが入り、勾配は馬喰町駅直前まで22.5‰の下り勾配のままとなっている。総武トンネルでは唯一民有地が多くを占める区間となっており、地下のみで工事が完結するシールド工法であることから、地下の使用権のみを取得する区分地上権にて用地を買収している。
 柳橋トンネルは、発進立坑が完成済みの隅田川トンネル端であったことから、掘削に必要な設備をおくスペースが当初から十分に確保できた。そのため、発進時より地下水の湧出防止のため圧気工法を併用している。工事に必要な資材は、両国駅構内に設けた開口部から隅田川トンネルを経由して搬入している。圧気工法の採用自体には問題はなかったが、地下水が枯渇した洪積層にシールドマシンがが進入した際は加圧空気が地中を広範囲に拡散する問題が生じた。
 柳橋トンネルと交差する構造物としては一部民有地のビル基礎と馬喰町駅直前で交差する都営地下鉄浅草線、電電公社洞道がある。いずれも薬液注入により地盤を強化することでトンネル掘削時の沈下を防止している。また、電電公社洞道については総武トンネル開通後の建設となることから、事前対策として薬液注入と厚さ20cmの二次覆工を行っている。交差構造物対策の一例として都営浅草線トンネルの沈下防止対策を下図に示した。

都営浅草線交差部分の沈下対策
都営浅草線交差部分の沈下対策

  なお、この区間では将来のトンネル技術開発の基礎資料収集のため、配筋や締結方法の違う複数種類のセグメントを使用しており、応力・ひずみなどの測定を行っている。当工区はトンネルの深度が徐々に深くなっていくため、掘削に従い地質が刻々と変化していくという総武トンネルの中では不利な条件ではあったが、大きな事故はなく工事は完了した。

●現地写真
トンネル名称の由来となった柳橋。中央区の有形文化財に指定されている。
トンネル名称の由来となった柳橋。中央区の有形文化財に指定されている。

 隅田川から浅草橋までは民有地の下を非開削で抜けており、地上にはトンネルの存在を伺わせるものは何もない。この地区は江戸時代花街(芸子屋街)だった場所で、1990年代末まで料亭がいくつか残っていた。工事誌にも料亭の建物の基礎に対し薬液注入で補強を行ったとの記述があるが、その建物は現在は普通のオフィスビルに変わっており、当時の痕跡は残っていない。柳橋から浅草橋にかけての神田川が屋形船の係留場となっているのは花街だった当時の名残であろうか?

清杉通りと江戸通りの分岐点となる浅草橋
都営浅草線の河川占用許可標
護岸に埋め込まれた柳橋トンネルの埋設標識
左(1):清杉通りと江戸通りの分岐点となる浅草橋
右上(2):都営浅草線の河川占用許可標
右下(3):護岸に埋め込まれた柳橋トンネルの埋設標識

 馬喰町駅直前で柳橋トンネルは清杉通りと交差する。清杉通りの下には都営浅草線が通っており、神田川と交差する浅草橋の脇には浅草線のトンネル位置を示す看板が設置されている。柳橋トンネルはこの浅草橋をかすめるように通過しており、浅草橋右岸側の護岸をよく見ると小さいながら「日本国有鉄道」と書かれた埋設標識が取り付けられているのが確認できた。なお、浅草橋交差点の下は、地上の道路、都営浅草線、総武快速線、NTT洞道の四重交差となっていたが、2010年代にさらに共同溝が建設されたため現在は五重交差となっている。東京都内の地下では、このような複雑なトンネルの交差ももはや当たり前になりつつある。

上り列車から見た隅田川トンネルと柳橋トンネルの接続部分。 馬喰町駅の端から見た柳橋トンネル上り線。ホーム直前まで22.5‰の急勾配である。
左(1):上り列車から見た隅田川トンネルと柳橋トンネルの接続部分。
右(2):馬喰町駅の端から見た柳橋トンネル上り線。ホーム直前まで22.5‰の急勾配である。


 総武・東京トンネルは全線に渡りトンネル内の照明が常時点灯されており、運転席の背後から駅間のトンネルの様子はある程度見ることができる。隅田川トンネルと柳橋トンネルの接続部分は、単線シールドトンネルの離隔を確保するため徐々に上下線間隔が広がっているのがわかる。隅田川河底を横断する地下鉄トンネルは、地上での堤防決壊や河底の崩壊といった万一の事態に備え、陸地との境目に防水扉を設置するルールとなっているが、どういうわけか総武トンネルではその設備が無い

▼関連記事
隅田川立坑(概説・現地写真) - 京葉線新東京トンネル(12)(2010年1月12日作成)
→隅田川をくぐるもう一つのJR線である京葉線の防水扉について

●この区間の前面展望動画(2011年撮影)
総武快速線・横須賀線前面展望・1/5 錦糸町→馬喰町 - YouTube

(つづく)
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