東武伊勢崎線竹ノ塚駅高架化工事、いよいよ着工へ

竹ノ塚駅南側にある伊勢崎線第37号踏切

去る、2012年3月30日に東武鉄道から東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)竹ノ塚駅の高架化工事に着手することが発表されました。今回は2005年に発生した事故やこれまでの竹ノ塚駅の高架化をめぐる歴史、そして今後行われる高架化工事について2012年4月1日に行った現地調査と行政資料などを元に見てまいりたいと思います。

■竹ノ塚駅の概要

竹ノ塚駅付近の1989年の航空写真。20年以上経過しているが、街並み自体に大きな変化はない。
竹ノ塚駅付近の1989年の航空写真。20年以上経過しているが、街並み自体に大きな変化はない。
(C)国土交通省 国土情報ウェブマッピングシステムカラー空中写真データ(1989年)より抜粋

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 竹ノ塚駅は東武伊勢崎線の起点である浅草駅から13駅目(13.4km)にあります。竹ノ塚駅を含む東武伊勢崎線北千住~北越谷間は複々線となっており、当駅には内側線を走る普通列車のみが停車します。駅の南方には1966(昭和41)年に東武鉄道から譲り受ける形で新設された東京メトロ日比谷線千住検車区竹ノ塚分室(旧称:竹ノ塚検車区)もあり、朝夕のラッシュ時を中心に当駅止まりの列車も数本設定されています。竹ノ塚駅の利用者数(乗降人員)は、2005(平成17)年に約2km東につくばエクスプレス線六町駅が、2008(平成20)年には約1km西に新交通システム日暮里舎人ライナーの4駅(谷在家~見沼代親水公園)が相次いで開業たため減少が続いていますが、それでも2010(平成22)年度の数字で73,179人となっており、伊勢崎線内では多い部類に入ります。

竹ノ塚駅の駅舎と西口バスターミナル 橋上駅舎内の改札口
左:竹ノ塚駅の駅舎と西口バスターミナル
右:橋上駅舎内の改札口

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竹ノ塚駅ホーム ホームの浅草寄りから東京メトロ日比谷線千住検車区竹ノ塚分室(車両基地)を見る
左:竹ノ塚駅ホーム
右:ホームの浅草寄りから東京メトロ日比谷線千住検車区竹ノ塚分室(車両基地)を見る。

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 東武伊勢崎線の複々線区間のうち、この竹ノ塚駅と隣の西新井駅だけは地上に線路がある構造となっています。このような構造となった理由は前述した竹ノ塚駅南側の日比谷線の車庫と、西新井駅付近にあった工場設備(西新井工場。2004年廃止)へ連絡させる必要があったためです。この構造のため、竹ノ塚駅の両側には現在に至るまで踏切(伊勢崎線第37・38号踏切)が残っており、いずれも朝夕のラッシュ時には最大で1時間当たり58分閉まったままとなる「開かずの踏切」と化しています。

竹ノ塚駅付近の踏切の諸元
踏切名伊勢崎線第37号踏切(赤山街道)伊勢崎線第38号踏切
現地写真
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伊勢崎線37号踏切(赤山街道)伊勢崎線38号踏切
幅員14.0m5.4m
長さ31.5m30.6m
交通遮断量63,818台時/日1,794台時/日
自動車交通量4,144台/日115台/日
軽車両交通量5,761台/日7,211台/日
二輪(バイク)交通量611台/日70台/日
歩行者交通量1,376人/日2,456人/日
ピーク時遮断時間57分44秒58分15秒
24時間遮断時間15.4時間15.6時間


下は竹ノ塚駅の浅草寄りにある37号踏切(赤山街道)を撮影した動画です。撮影したのは日曜日の夕方ですが、複々線を絶え間なく列車が行き交うため、遮断機は開いても30秒ほどで閉まってしまい、次に開くまで必ず数分以上待たされます




【開かずの踏切】東武スカイツリーライン竹ノ塚駅浅草寄りの踏切 - YouTube 音量注意!

 このような「開かずの踏切」をめぐっては周辺住民からこれまで度々高架化による解消を求める陳情がなされており、一例として1979(昭和54)年に足立区議会に高架化の請願書が提出・採択されたのをはじめ、後述する事故直前の2001(平成13)年にも高架化を求める約5万4千名の署名が足立区に提出されています。しかし、竹ノ塚駅には日比谷線の車庫があることや貨物列車が運行されていることによる急勾配が設けられないといった運行上の制約に加え、踏切が2か所しかなくいずれも区道であるため、国の連続立体交差事業の採択基準※1に合致せず事業費が高額になるといった問題があり、後述する事故以前は高架化の計画が具体化することはありませんでした。

▼脚注
※1 後述する踏切事故以前の連続立体交差事業は「幹線道路(国道・都道府県道)を2か所以上立体化できること」「事業主体は都道府県または政令指定都市とする」の2点が採択基準となっており、竹ノ塚駅は対象外となっていた。

■2005年に発生した踏切事故とその対応

2005年の踏切事故後に新設されたエレベータ付きの歩道橋。
2005年の踏切事故後に新設されたエレベータ付きの歩道橋。

 竹ノ塚駅付近の踏切はいずれも踏切脇に係員が常駐し、人力で遮断機を開閉する手動式となっていました。これは自動式では複々線の線路を次々と通過していく列車に対応できず、遮断時間が延びてしまうと考えられていたためです。しかし、この手動式が仇となり列車接近時に動作する遮断機のロックを解除し、列車通過の僅かな合間に遮断機を上げる規定違反が常態化してしまいます。
 その結果、2005(平成17)年3月15日、駅南側の37号踏切(赤山街道)で列車が直前まで接近しているにも拘らず誤って遮断機を上げてしまい、踏切内に立ち入った通行人4人が列車に撥ねられ、2名が死亡、2名が負傷する事故が発生しました。遮断機を操作していた係員は逮捕・起訴され、翌年禁固1年6カ月の実刑判決を受けました。

2005年の事故後に竹ノ塚駅で行われた対策
2005年の事故後に竹ノ塚駅で行われた対策 ※クリックで拡大

 事故後、竹ノ塚駅では手動となっていた2か所の踏切の自動化、踏切拡幅による混雑の緩和、歩行者用歩道橋の新設といった再発防止策が急ピッチで行われ、いずれも事故から1年後までに完成しました。しかし、踏切に関しては自動化と警備員が配置された以外には変化はなく、現在も警報機が鳴り始めても渡りきれない通行人が見受けられるなど本質的な問題は何も解決していません。

■高架化実現へ

竹ノ塚駅ホームから春日部方面を見る。高架の谷塚駅へ向かう取り付け勾配は電車のみが走行する路線としては緩い10パーミルとなっているが、これは貨物列車が走っていた名残。
竹ノ塚駅ホームから春日部方面を見る。高架の谷塚駅へ向かう取り付け勾配は電車のみが走行する路線としては緩い10パーミルとなっているが、これは貨物列車が走っていた名残。

 この事故を契機として、地元では高架化の機運が一気に高まり署名活動が開始されました。その結果、事故直後からわずか5ヶ月間で216,993名に上る署名が集まりました。これは足立区の人口約65万人の実に1/3に相当する数で、事故が地域社会に与えた衝撃の大きさを物語っています。
 一方、足立区でも可及的速やかな高架化実現に向け、事故発生から3ヵ月後の2005年6月に「竹ノ塚駅付近道路・鉄道立体化検討会」を設置し、街づくりの面から高架化が技術的に可能であることを確認しました。続いて、同年9月には足立区・地域住民の合同で「竹ノ塚駅付近鉄道高架化促進連絡協議会」を結成しました。協議会では11月に東京都、12月に国土交通省へそれぞれ連続立体交差事業の採択基準拡大を要請し、その結果翌2006(平成18)年には連続立体交差事業における事業主体の人口20万人以上の都市・特別区への拡大と、歩行者が多い生活道路の踏切(歩行者ボトルネック踏切)への対象拡大が実現しました。残るは東武鉄道側との調整ですが、実はこれはほとんど完了していました。というのも、高架化を妨げていた業平橋(現・とうきょうスカイツリー)駅発着の貨物列車が1993(平成5)年を最後に運行を終了しており、本線上にも電車専用線並みの急勾配を造ることが容易になっていたのです※2。そのため、竹ノ塚駅と日比谷線の車庫の連絡線部分では本線側を急勾配の立体交差で上越しさせることが可能となり、車庫側に大きな手を加えることなく高架化が可能となりました。

▼脚注
※2 これを示す例として、貨物列車廃止後に高架化された北越谷駅の地上取り付け部分は電車専用線規格の25パーミルで建設されたことが挙げられる。

高架化後の竹ノ塚駅の構造
高架化後の竹ノ塚駅の構造 ※クリックで拡大

 こうして運行・法制度双方の準備は急速に進み、事故から1年9カ月後の2007(平成17)年12月、竹ノ塚駅は連続立体交差事業の新規着工準備採択を受けました。以後は足立区が施工主体となり、高架化の計画策定が開始されます。区が施工主体となるのは東京23区では初めてのことです。
 高架化される区間は陸橋により立体交差化されている西新井寄りの補助260号線(栗六陸橋)付近から谷塚寄りの高架橋までの全長1.7km(都市計画変更区間は3.1km)の区間です。高架化後の竹ノ塚駅は現在と同じく複々線の内側2線の間に島式ホームが入る構造で、駅の春日部方には当駅止まりの普通列車が折り返しを行う引き上げ線が2本(現在より1本減)設置されます。また、西新井方は下り線が高架、上り線が地上という構造になる予定です。これは西新井方では日比谷線の車庫へ通じる連絡線をオーバークロスするためであると思われます。
 また、高架化に当たっては狭小な駅前ロータリーの拡張と駅北側に線路を横断する道路(補助261号線)の新設が行われる計画となっています。補助261号線は伊勢崎線が地上を走ることを前提に線路との交差部分は陸橋化する形で都市計画決定がなされていたため、高架化の都市計画策定に合わせて地上式へ計画が変更されています。西口の駅前ロータリーはこの補助261号線と接続する予定です。
 着工準備採択後、2010(平成22)年には事業に向けた環境アセスメントが行われ、翌2011(平成23)年3月には正式に都市計画決定がなされ、同年12月には事業認可の取得が行われました。そして去る2012(平成24)年3月30日、東武鉄道と足立区の間で高架化工事の施工協定が締結され、着工することが発表されました。工期は2020(平成32)年度までの約9年間の予定で、総工費は約544億円は施工主体である足立区と国が約456億円、東武鉄道が約88億円を分担して拠出します。
 事故発生から7年目にして、竹ノ塚駅の踏切問題は解決へ向けた大きな一歩を踏み出しました。

■余談:ヒューマンエラーを罰することの是非・・・など

 2005年の踏切事故の直接的な原因は、係員が規則に反してロックを解除し、遮断機を上げてしまったミスにあり、その責任を逃れることはできません。しかし、一方でこの事故の根底には本記事で眺めたような長年に渡り高架化を求める社会の要請を無視してきた鉄道会社の意識の低さと、無視せざるを得ない状況に置いてきた法制度の重大な欠陥が存在します。事故現場となった踏切は前述の通り長年に渡り開かずの踏切となっており、通行人から遮断時間の長さに関して厳しい叱責・苦情が絶えませんでした。このため、事故前からロックを解除して遮断機を上げる危険行為が常態化しており、現場から再三にわたり改善を求める要請がなされていたことは当時の報道で何度も取り上げられています。そのため本来であれば原因となった係員に加え、このような規定違反を行わざるを得ない状況に追い込んできた鉄道会社や行政も厳しく糾弾されるべきでした。しかし、実際はミスをすることが当然である人間、しかも当時偶然に勤務に就いていた係員1人のみを刑事罰という形で「生け贄(いけにえ)」的な扱いをすることで幕引きを図ってしまったのは周知の通りです。これは、日本の鉄道事故の歴史の中で繰り返されてきた事故の本質を見失わせ、再発防止には何ら寄与しない悪習であり、極めて残念に思わざるをえません。(なお、筆者はこの係員もある意味では「被害者」であると考えます。)今後はできる限り早く高架化を実現し、踏切をなくすことが鉄道会社・行政による被害者への償いであると考えてよいでしょう。3月から東武伊勢崎線は「東武スカイツリーライン」の愛称が与えられ、大々的にPRが行われていますが、公共交通機関は安全が最大の使命であることを忘れてはなりません。

▼参考
東武スカイツリーライン「竹ノ塚駅」付近の連続立体交差事業(高架化)に着手します - 東武鉄道ニュースリリース(PDF)
足立区 鉄道立体と関連まちづくり
東武鉄道の踏切問題 総目次 - 半沢一宣のホームページ
23区初の区施工による連続立体交差事業・東武伊勢崎線(竹ノ塚駅付近) - 道路 2007年12月号(リンク先CiNii)

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